愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというが、むしろ歴史を知れば勝手に賢者になり、学ばなければ馬鹿で終わる、という言い方のほうが正しい。どんな高学歴でも、どんなに難関な資格を持っていようとも歴史を知らない人間は例外なく馬鹿な生き方をしている。歴史というのは先例であるのだ。
そして歴史は宗教、地理などとも深く結びついているものであり、その人間が馬鹿かどうかはこれで容易に見分けがつく。宗教に触れるのは遺恨が残る喧嘩に発展する可能性があるのでやめておくとして、もし貴方が他人が馬鹿かどうか知りたいなら世界地図を描かせてみることである。
少なくともインド中国ドイツイギリススペインスカンジナビアブラジルアルゼンチンスーダンナイジェリアあたりの位置はちゃんと描けないと人間失格である。
尚私の経験上、書けなかった人間は100%思慮が浅い人間であった。

近い将来、純血のヨーロピアン人種いわゆる白人は絶滅するであろう。ソフト面を重視しなさすぎたせいで教育が疎かになり、皆が家庭という社会の基本概念を忘れて好き勝手やりすぎた結末だ。自己が全く独立した存在であると考えているせいでそうなっているが事実は全く違う。自分は自分だけのものではなく、両親、将来の夫または妻、将来の子供のためのものである。この連鎖を忘れてしまい、個人崇拝されたい欲求に駆られまくった結果がこれである。
皆自分が神のように扱われることを望んでいる(特に女。エロを武器に)
この様子は彼女らがどう振る舞っているかを見れば一目瞭然である。

1神教の信徒達がなぜ己を神にしたがるのか。これにはやはり中世ヨーロッパの大きな失敗すなわち教会勢力と政治勢力の妥協、政教分離が大きく影響しているだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/国の人口増加率順リスト

これを見ればわかる通り、最初に滅びるのはスラブ人の国家、次にマジャールだろう。だが現実には西欧諸国の出生率はイスラム移民の水増しであり、実際の数値はスラブ以下かもしれない。

 法治国家というのも考え物だな。社会では絶対的に人治国家より法治国家のほうが優れていると思われがちだが、どうにも法律というヤツは悪用する輩が多い。いわゆる冤罪というやつだ。更に一度罪をでっち上げられてしまうとそれに対抗する手段が控訴か名誉毀損で訴える事くらいしかない。
 直接的にでっちあげた原告を潰す事は出来ないし、それをやったら自分が完全な悪者になってしまう。どんなに非道な事をされても、しかもそれを周囲が認めていても、裁判所が認めない限り直接的な反撃はできないのである。どんなにひどい濡れ衣を着せられても裁判所の判定が出るまではじっと何年も耐えなければならない。
 しかも一度濡れ衣を着せられると例え最終的に自分が勝ったとしても、悪いイメージはなかなか元には戻らないし、悪いイメージが着いていた間の社会的損失は補償される事はない。
 法治国家の欠点は言ったモノ勝ちになる点と、お金と暇がなければ反撃できないという事である。つまり貧乏=負けである。
 自分が冤罪に会った事を想像してみるといい。また、巷で冤罪に逢った人達の人生がどれだけ報われていないかも調べるといい。更には、過去に起きた事件が実は冤罪であったなんて例も多数あるのでそれも調べてみるといい。

よく言われる両者の差であるが、最も顕著に現れるのは扱う情報の信憑性である。

文系の人間は与えられた材料をまず疑うところから始める。
理系の人間は与えられた材料で何が出来るかを考える。

これは、
文系=理想主義で、自分の理想通りの結論を導き出そうとするから材料を選ぶ。
理系=現実主義で、自分の出来るだけの結論を導き出そうとするから材料はどうでも良い

という違いとも言い換えられる。

なので工程として理想なのは、文系→理系 である。1stステップは絶対に文系にしなければならない。理系は与えられたものが滅茶苦茶だろうが嘘だろうが、関係なく処理してしまうからである。

理系→文系が悲惨な事になるのはホンダの製品を見ていればわかるだろう・・・

ファーストステップの詰めが甘い人はだいたい理系脳だと思っていい。そういう人は文系脳の人がちゃんとガードしていないと失敗しがちである。

 先日とある漫画を読んでいて、芸術家の才能について考えた。私は才能の正体は学習能力であると思う。より深く洞察し、その感性の表現方法を筋道立てて考えることが出来、それを実戦する方法を模索し実行する。天才というのはこの一連の動きが通常の人間よりも早いのである。

 事実、才能がある人間というのは何をやらせてもそこそこうまい。反対に愚鈍な人間は何をやらせても愚鈍である。これは学習能力こそが才能であるという私の説を証明していると思う。

 また、馬鹿みたいに時間をかければ誰でも良い作品は作れるものである。しかし天才というのは作品を作り上げるスピードが速いのである。参照、参考、推敲、実行、再試行、すべての動作が速い。例えば芸術とはちょっとズレるかもしれないが、料理が最も良い例である。才能のある料理人は手際が良く、作品を作り上げると同時に厨房の掃除も終わっていたりするのである。

 この例でいくと、この料理人は調理と厨房管理という二つの考えの軸を同時進行でこなしている。つまり天才とは頭の使い方が良いわけであって、絶対的な○○の才能、というのはないのである。天才はどんな方向にも才能を発揮するのである。ダヴィンチなどその典型例である。

 ところで、その漫画は音楽の才能の話だったのだが、演奏を伴うものは才能以外に努力が大事であり、努力でカバーできるものが大きい。私が思うに最も才能のみでやってる連中はラッパーである。そして、私がラッパーの中ですべての方向にバランスよく才能を発揮しているのはベタであるが2PACであったと思う。

 2PACといえば、ウォーレンGとその兄であるドクタードレー、スヌープドッグやその従兄弟のネイトドッグ、ダズディリンジャーなどのいわゆるG-FUNKの立役者であるが、2PACだけ頭一つ抜けていたと思う。

 ラップはブレイクビーツであり、サンプリングした音を組み合わせて楽曲を作り、それに韻を踏んだ歌をリズミカルに乗せていく。もちろんぶっつけ本番のアドリブ全快である。こういうところはまさに才能だけの世界であると言える。

 2PACの楽曲の中で私が一番好きなのはAll About You という曲である。この曲、最初はスヌープドッグと競演したのだがあまりにもスヌープの調子が悪く、ネイトドッグでやり直したという経緯がある。つまりこの時点でスヌープドッグはデスロウ面子の中でもちょっと劣るということが判明しているわけで・・・そういえばNOLIMITS移籍の第一弾のアルバムもひどいもんであった。

スヌープドッグバージョン

ネイトドッグバージョン(正規バージョン)

 笑い声を詰めて一拍に乗せてしまうあたりはさすがである。通常はこんなこと思いつかない。ちなみに私が普段トランスばかり聞いているから、トランスしか聞かないと思っている人が多いが、私はもともとはラップが好きだったのである。

 政治家や企業の権力者は顔を隠すことによって、様々なメリットが生じ、人間社会において避けようのない権威主義から見事に脱却することが出来る。これはイスラムの精神と見事に一致するものである。以下、顔を隠すことのメリットを挙げていこう。

・暗殺の心配が少なくなる。普段誰がどのような顔をしているのかわからないのだから、私生活でボディガードをつけたりする必要が無くなる。
・平和な家庭を築くことが出来る。自分の仕事を秘密にするのが必須条件だが、子供が権力をカサに着て粋がったり、親が金持ちだと知って浪費したり、いい年こいて子供がグレたりすることを防ぐことが出来る。
 尚これは国王には非常に大きなメリットであり、例えば4つの家庭を持ってそれぞれが違う階級だった場合、国王は4階級の視点を拾うことが出来るし、跡継ぎをどの階級から選ぶか時代に沿って決めることが出来る。勿論各家庭には秘密にしてあるのだから、王権を引き継ぐ事が出来なかった子供が反乱を起こすこともない。ファイサル国王の悲劇を繰り返してはならない。
・政治家、企業家、権力者はどうしてもワイロに囲まれたり、陰謀に巻き込まれたりしてとてもじゃないが普通の人間関係を持つことが出来ない。皆が自分を恐れて本当の友達が出来ないのも問題である。しかし誰にも顔を知られていなければこれらの問題とは一切関係がない。

 他にもいろいろあるのだが思い出したら追加しよう。尚この法律を守らなかったり、事故で顔がバレてしまった場合は強制美容形成の刑が処される。以上内田貴洋の理想王国論。

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