結果をアピールする子供、目にしたことはないだろうか。見て見て僕これこれこうしたよ、私これやったよ、すごいでしょ。とアピールする子供達である。アピールすること自体は悪いことではない。しかし、子供達が親にアピールするというのは少し異常である。このような場合、親は過程を見ていない。

 本来なら親が過程を見ているのが当たり前なのであるから、子供が結果をアピールしようと、「知ってるよ」で終わる話である。しかし親が過程を見ていないと、子供はいかにして自分が結果を達成したか、もしくは過程で努力したかを説明するようになるのである。時としてそれは、嘘つきを育てていく結果に繋がる。

 子供からすると、過程を見ていない親は結果でしか判断しないのだから、どのような過程を使っても、また嘘の結果を伝えても構わないと考えるようになるのである。こうして嘘つきが世の中に増えていく。

 本当に親の愛情というものは子供に見事に現れるもので、適当に面倒を見ているとロクな育ち方をしないのである。

 人間の世にある道具、それはすべて人類の繁栄のための輝かしい発明の軌跡である。中には失敗した物、競合に破れた物、時代の変化と共に廃れていったものもあるが、それらはすべて文明の発達を担っていたスター達である。

 だがしかし、この世には文明を間違った方向にしか進ませないような発明品も沢山ある。その中でとりわけ最悪なのが、コンドームである。

 コンドームはセックスを遊びと化し、売春をイージービジネスに変えてしまった最低の発明品なのである。本来売春とは様々な性感染症のリスク、妊娠のリスクを売春婦側に課し、買う顧客側もある程度のリスクを背負うものだったのである。だがしかしコンドームの登場により、売春婦はただの穴貸しとなり、買う側も高級オナニーのような気分で買えるようになってしまった。売るほうも買うほうも売春へのハードルが低くなった上に、価格設定はコンドーム普及前と変わらないので、売春産業がより活発になり、売春婦になる女が増えてしまった。最悪身体を売ればいいや、と考える女、それを実践する女が極端に増えた。

 そして今の女の殆どは、無自覚な売春婦である。彼氏にどれだけ愛されているかを自分の身体と天秤にかけ、結婚もせずにセックスする。愛の形は様々だが、どれだけ金をかけてもらったか、を指標にする女が殆どである。こういう事を書くと結婚も売春だろと言う輩が出てくるが、結婚とは乗り換え不可能な専属契約であり、ここには金銭や条件が悪いからといって契約を解除するという行為は存在しえない。翻って今の女を見てみると、「好きな人が出来た」だの言って簡単に乗り換える。これは職業売春婦が「より高い金を払う顧客がいるから」という理由で乗り換えを行うのと同じであり、自分の時間と肉体を売りにかける行為に他ならない。いくらでも男の乗り換えしていい、という意識そのものが売春婦の意識なのである。

 話が横道にそれたが、コンドームがなかったら一体どうなるであろうか。妊娠を恐れて婚前交渉する輩は極端に減るだろうし、性病その他のリスクを恐れて売春する女も、買春する男も減るはずである。セックスがゲームから生殖行為に戻るのである。ティーンのうちからセックスゲームに興じている馬鹿がいなくなるので、個々人の脳の発達も進むであろう。

 内田貴洋王国ではコンドームは全面禁止である。セックスは一回一回本気でやれ!というのがこの内田貴洋の教えである。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋の近代評価。

  インパクトのあるタイトルでびっくりした方も多かろうが、文字通り金玉管理である。人間を管理する基本は胃袋と金玉である。ポルノのエントリで話をしたが、内田貴洋王国では売春は合法である。但し免許制である。

 理由は男の性欲を放置しておくとゲイが大量発生し、国民が戦士から女子に変わってしまうからである。国民全員が誇り高き戦士であることは内田貴洋の理想の絶対条件である。だから売春は合法とし、ゲイは根絶する。また実際に売春を禁止することなんて事実上不可能なのだから、マフィアの形成を断つためにも国家自体が管理してしまおうという事である。

 だが、内田貴洋王国はイスラムの政教一致の国家である。婚前交渉は認められない。ではどうするかというと、ヒヤルの形をとる。顧客はマフル(婚資)を支払い、婚姻届を出して売春婦と結婚する。そして夫婦の関係を持った後、離婚する。というものである。この婚姻届の管理がポイントである。一応便宜的にこの書類は政府の役所に上げられ、すべての書類は国王の元に集められる。

 既婚の男はもちろん、未婚の男もこの書類があっては自分の経歴が家族にバレてしまうので困るわけである。夫の金玉を握っているのは妻であるが、その妻の発火装置を国王が握るのである。未婚の男の場合は将来の妻の発火装置を握る、という図式である。つまり事実上国王が全国民の男の金玉を握るわけである。国王は数ヶ月に一度、「書類の上に大量のコーヒーをこぼす」というミスをするのだが、この様子がTVで全国中継される。このようにして内田貴洋王国の男達は、国王に恩を感じながら日々生活するようになるというわけである。

 尚、売春婦側の書類はそのままである。

 この日本、そして多くの文化圏で、今最も一般的なのは恋愛結婚である。殆どの場合、男が女にアプローチし、女はそれを取捨選択するという構図が成り立っている。男は女の気を引くために、様々なプレゼントをしたり、サービスを提供したり、心理的なケアをしたり、ドラマティックな演出をしたりする。こうしてうまく女の気を引いた男が、女を獲得し、結婚に至る。

 普遍的なこのモデルの中にこそ重大な欠陥が潜んでいる事に諸君はお気づきであろうか。それは、恋愛が幻想、劇場型の世界であるのに対し、結婚は現実そのものという矛盾である。すなわち、どれだけ幻想世界の劇場に女を引っ張りこめたかが男の勝負になるのに、いざ女がその男と結婚してみると、一気に現実に突き落とされるという欠陥である。結婚したら男は金銭的、労力的にいつまでも幻想世界に女を置いておくわけにもいかず、釣れた女に与える幻想世界劇場の質、量は結婚後どんどん減らしていく事になる。女はそれまで沢山の幻想世界劇場を与えてくれていた男が、その量を減らしていく事に関して「愛が薄れた」と感じるようになる。場合によっては別の幻想世界劇場を与えてくれる男に浮気心を抱くであろう。或いは結婚後も幻想世界劇場を女に与え続ける男がいるかもしれない。だがそのような男はいずれ心労がたたり、その家庭は駄目になる。また、このような過当な恋愛競争に晒された結果、男が必要以上に幻想世界劇場を女に与えてしまい、女側が自分を磨くことをやめてしまうというのも大問題である。

 結局のところ、この恋愛結婚システム自体は無理があるのである。そもそも恋愛の決定権が女にあるが、結婚の決定権が男にあるというパターンが9割以上を占めるこの社会のシステムでは、恋愛と結婚の間に矛盾が生じるのは当たり前なのだ。決定権の推移により、結婚後、男は女に自分の弱さを見せるスタンスが要求され、女はいかにして自分の持っている資本を男に与えられるかというスタンスが要求される。男も女も結婚前と結婚後で正反対のスタンスが求められる事になる。だから結婚前と結婚後でお互いの性格が変わってしまい、破綻する。よってどちらかに決定権を揃えるやり方こそ、無駄がなくスマートに結婚生活に移行できるやり方なのである。

 女→男というアプローチをとる恋愛結婚だったらどうであろう。この場合、恋愛の決定権も結婚の決定権も男が握っているので、これは正しく成立する。女はいかに自分が魅力的か、いかに自分が家庭内で有能か、いかに自分が強い愛を示せるか、を男に提示する。男はそれを取捨選択して好きな女と結婚すれば良い。女が男に与えているものは最初から現実的なものであり、幻想世界劇場ではないので女は結婚前と同じスタンスを家庭内で貫けば良い。先のモデルにあるような、結婚前と結婚後のギャップ、それに伴う心理の変化、浮気心などというトラブルとは無縁である。これが正しい恋愛結婚のあり方である。

 では女に決定権を揃えるやり方は何か、それはお見合いである。女が気に入った男と先に結婚し、結婚後にその男と恋愛する決定権をも握るわけである。このやり方は先の女→男のモデルと比べて、条件を第一に指定するため、後々のトラブルは先の女→男の恋愛結婚モデルよりも格段に少ない。男はいかに自分が経済的、社会的に有能か、強い愛を示せるかを女に掲示し、女はそれを取捨選択する。一見男→女の恋愛モデルと似ているように見えるが、先に結婚という生活の現実が来るため、男が女に幻想世界劇場を与える必要もなく、ギャップは生まれない。

 内田貴洋はこの二つのモデルを推奨する。従来の男→女恋愛結婚は破綻モデルだと断言する。事実、男→女の恋愛結婚をした後、専業主婦で家事分担、だとか、専業主婦で育児分担、だとか、結婚後も優しくお姫様扱いしろだとか、そんな現実が見えてない妻に嫌気が差して離婚したがっている男を大勢知っている。このモデルは良い家庭を作るのには不向きであるから全世界の男は女にアプローチする姿勢を捨てるべきである。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋の真理を見通す眼。

 

 少し前の日本で、中学校の清掃を自分達でやるか、業者に任せるかというのが話題になった。自分達でやれ派は清掃も教育の一環である、という理由であり、業者派の主張としては、「清掃の仕方なんて他で学べる」「学生が掃除して綺麗になるわけがない」という類のものであった。だが、問題は清掃の効果そのものではないのだ。

 実はこの内田貴洋の中学校はインターナショナルであり、清掃は業者が行っていた。そこで生徒はどのような振る舞いをするかと言うと、ゴミは散らかし放題、消火器は毎日ぶちまける、トイレの蓋の上に糞をする、トイレットペーパー投げあい合戦、など散々なものであった。何故このような事をするのか、答えは簡単である。自分達が清掃しないのだから、いくら汚そうが気にならないのだ。また、業者が完璧に清掃するため、どんなに汚くしても翌日には綺麗になっている。だからどこまでも汚して平気だと思っていたのだ。

 これが自分達で清掃する羽目になっていたらどうだろうか。自分達で汚せば汚すだけ自分達にツケが回ってくる。なのでなるべく汚さないようにしようとする。実は教育云々ではなく、この事実のみが大事なのである。似たような例として自宅で食事するのと、外食との差を考えてみてほしい。自宅の食事はなるべく洗い物が出ないように工夫したりするが、外食ともなると食器を灰皿にしたり遣りたい放題である。食器を洗う苦労をわかっている人でも、このような事をする。つまり大事なのは自分達で後始末をしなければならないという事実であって、掃除の仕方を学ぶだの、清掃する立場の視点を持つだのではないのである。

 アジアの都市によくある屋台を想像してほしい。残飯や調味料の残り、食器を洗った水など路上にぶちまけて帰っていく。これも、自分で掃除をしないからやる所業なのである。ロンドンの裏路地や新橋の横丁が小便まみれなのも同じ理由である。個々は掃除の大変さを理解しているはずなのに、やってしまう。ツケが自分に回ってこないからだ。

 以上の点を踏まえて、内田貴洋王国では清掃を義務とする。清掃地域を割り振り、週に1回そこを清掃させる。清掃担当は居住地区ごとにグループが割り当てられる。例えばA町1丁目のグループはA町の公園、2丁目のグループはA町の公衆トイレ、などといった具合である。この清掃グループは地域の交流と、性別、人種、年齢を超えたコミュニケーション能力の育成をサポートすることにもなる。清掃グループは半年ごとに組みなおされ、担当も変えられる。

 地域グループワークを行うことによって地域に愛着心を湧かせることと、その土地を汚さないよう振舞う習慣を根付かせるのが、この清掃義務の狙いである。また、よそ者が来てすき放題散らかしていった場合、前述の決闘が地域住民とよそ者の間で行われる事になる。尚、内田貴洋王国の国民の義務に、労働は入っていない。以上内田貴洋の理想の王国。

 

 内田貴洋王国では、車高に制限を課す。何故なら車高が高いほどスピード感覚が麻痺し、事故に繋がることが多いからだ。ここでポイントなのは、速度と事故率に直接の関係はない、という事である。あくまで、体感スピードと実際のスピードのズレが事故に繋がるという事である。よってスピード制限は課さないが、スピード感覚の麻痺は取り締まる、という方針になる。何事も取締り取締りではなく、根本の改善が必要なのであるから、車高の高さを制限するというのは理に適っている政策である。

 第二に、車高が高いと後続車から標識や看板が見えづらくなり、急な車線変更等による事故に繋がる。これを防止するためにも車高制限は有効である。

 第三に、内田貴洋王国の鉄道は、車ごと乗り込むタイプの物を製造する。この際車高が高いと、格納が厄介になってしまう。規定の車高制限を設けておけば、二段或いは三段まで対応できる。

 大型車にもこの規制は厳格に適用され、最も高い車種はコンテナ車である。しかしこれもコンテナを載せる部分を凹ませて作らせるため、他国のコンテナ車と比べるとずいぶんと低い。その代わりに車幅に規制は全くない。2車線3車線をまたぐ車両でもOKである。

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