» 病める日本のブログ記事

 

 前回お話した女脳社会の続編である。書こうかどうしようか迷ったが、批判を恐れずに書くことにする。

 女脳は男脳の人に影響を受けたり、男脳の思想に触れないと男脳化することはない。つまり女脳社会にいると一生男脳に変わることはない。これの典型的な例がいわゆるDQNスパイラルである。物事を快不快で判断し、快なら好調だが不快になると解散。これを地で行くので沢山の母子家庭が出来上がる。この後母親が男脳化すれば良いが大抵は実家に寄り付いて女脳のまま子育てをすることになる。

 こうして周りを女脳で囲まれて育った人間は男脳になることはできないわけで、やっぱり快不快で判断する女脳人間ができあがる。これがいわゆるDQNになる。暴走族の若者など典型的である。気持ちいいから暴れまわる。ぶん殴られたら気持ちよくないのですぐ誤まる。しかし30分後にはもう我慢できなくなってまた暴れまわっている。快不快しか判断してないため、形容詞が「ヤバい」しか存在しない。更に問題であるのは、現代日本は社会全体が女脳化しているので、一般人までこのDQN気質を備えまくっている点である。「キモい」というひたすら感情的でしかない単語が流行している時点でそれは明らかである。当然このような社会ではモラルもへったくれもなくなる。

 お笑い番組などTVを中心としたメディアが更にそれに拍車をかける。日本のお笑い番組では小難しいことを言う人間を、快不快で批評して笑いを取るという光景がよく見られる。雑誌をはじめとしたメディアは快不快にうまく便乗させてモノを売ろうとする。結果として男脳の人間はどんどん居場所を失っていく。男脳でいると損をする社会になってしまっている。誰も男脳を評価はしない。そもそも法律や憲法が男脳を否定している。もちろん教育もだ。

 さてこの女脳社会のスパイラルに陥った日本が将来どのような道を歩むのか、私はだいたい予想がついている。

1 さんざん遊びまわってきた女脳の人間(主にスイーツと呼ばれる人種)がホームレス化。一部は後進国の人間と国籍目当ての結婚をし、日本に大量の外国人が帰化。しかしDVにより離婚。この男達はギャング化する。ブラジル人が多い。

2 男脳であり続けた人間(主に普通に働いている男性)達の国外脱出、あるいは男脳社会の国の人間と結婚。ここでまた大量の外国人が帰化する。中国 韓国 フィリピン ルーマニア が多い。

3 介護用に研修生名目でインドネシアから若い女性を輸入。ここで日本にイスラームが初上陸。モラルが崩壊している日本人に嫌気が差した連中がこれとこぞって結婚。改宗。

4 日本は分裂する。中国サイドと韓国アメリカサイド、そしてムスリムサイド。

5 ギャング団、イスラム過激派、中共過激派、が三つ巴の争いを繰り広げる危ない国になる。韓国アメリカサイドは内部分裂をおこして衰退する。

http://1dk.fc2web.com/toukei.htm

以上おわり。

 

誰であろうと男脳100%、女脳100%ということはない。

自分がどちら寄りか気になる人はこれでもやりたまえ。

http://www.utopia-o.com/braintest.htm

 

 男脳と女脳というものがある。女脳は快か不快かで物事を判断し、男脳は正邪で物事を判断する。

 一聞するとやれ女はどうだとか男はどうだとかそういう決め付けに見えるが、実は性別と男女脳にはあまり関係がない。人間生まれた時は皆女脳なのであり、成長する過程でどれだけ男脳の人間や思想に影響を受けたかで男脳化していく。赤ちゃんの時に正邪を判断してる奴などまずいない。

 男脳女脳どちらが優れているか、という議論は置いておいて、男脳社会、女脳社会とは一体どういう事であるのか少し見てみよう。これは我々の身近な社会で見ることが出来る現象である。

 男脳社会

・軍隊
・道路交通
・スポーツ
・インターネット掲示板

 女脳社会

・ナイトクラブ
・ホコ天
・お笑いトーク番組
・チャット

これらはごく一例である。挙げればもっともっとキリがないであろう。男脳社会は、正邪に主眼をおき、女脳社会は快不快に主眼を置いていることがよくわかる例である。更に観察すると、両者はお互いに反動で影響しあって生まれているということがわかる。例えば

無秩序の道路状況では事故が多発する→(事故者のために正邪の規律を作ろう)→道路交通社会→(窮屈すぎて不快だから開放的になろう)→ホコ天→(ホコ天の治安を維持する組織が必要だ)→警備隊の結成→(警備隊内部に娯楽が必要だ)→???

などなど。

 実はこれを世界の歴史に当てはめても全く同じことが言える。無秩序な社会はモラルを必要とし、規制でがんじがらめになった社会は娯楽を求める。一神教の精神などはまさにこれで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の誕生時、いずれも社会は無秩序で金と権力と売春の世界であったのである。人々はモラルを渇望した。だからこのアブラハムの宗教はすべて成功を収めたのである。
 
 では現代日本はどうだろうか。実は超女脳社会である。戦争に負けてやっきになってしまったのか、日本人は秩序など捨て去って目先の娯楽に走りまくった。本来ならばオイルショックあたりでブレーキがかかって自浄作用が働くはずだったのだが、バブル崩壊、無責任なマスコミ、将来への見通しが全くつかない糞政府のおかげで民衆は本当に目の前しか見ることが出来ない。明日の秩序より今日の快楽、となるのは当然の流れなわけで、今日の日本はハイパー女脳社会なのである。

 実際、私の周りの人間も女脳ばかりである。さて、この国はどうなってしまうのであろうか。尚、暴力がある限り男脳社会というのは絶対に消えてなくならない。女脳社会と男脳社会がぶつかった時、暴力で勝るのはいつの時代も男脳社会である。

↓超男脳社会だからこそ成し得る技。現代日本ではまず無理である。

 

 今の世の中、魅力的でない女が増えている。それも当然の事で、女はロウティーンの頃から恋愛至上主義のメディアに踊らされ、大事な十代を恋愛というドラッグ遊びに使ってしまうからである。

 しかもタチの悪いことにこのドラッグは依存性がヘロインの10倍くらい強く、一度中毒になってしまうと立ち直るのはなかなか困難である。ほとんどの場合、恋愛して良いレベルまで自己が確立されないまま恋愛をしてしまうため、相手の男に飽きられて捨てられてしまう。捨てられた女はもう恋愛というドラッグの依存性になっているので、新しい恋愛でそのダウンレギュレーションを抑えようとするが、当然耐性や慣れの問題があるので他のドラッグと同じように、ますます過激な質、そして量を追い求めていくようになる。

 こうして二十台半ばには自己というものが何もなく、趣味も特技も金を稼ぐ能力もなくただひたすらひどい男遍歴のみが自慢になっているという最悪な女が出来上がるというわけだ。そして多くは二十台後半で男遍歴というものが唯の汚点で、自慢にも何もならないマイナス要素であるという事実に気付き、絶望へと落とされていく。

 では外国ではどうだろうか。外国に行ったことのある方は女のホームレスが普通にいることにびっくりした経験があるだろう。そう、外国は日本と違って社会が女に甘くない。だからロウティーンの頃からどうやって生きていこうか頑張って画策する。

 結果としてこれなんてエロゲ?みたいなハイパースペックの女が量産されていくわけである。
例えば自己の確立として最も代表的な例であるスポーツ選手を見てみよう。
http://www.uclabruins.com/sports/w-soccer/mtt/ucla-w-soccer-mtt.html

これはアメリカの名門UCLAのサッカーのチームのメンバー表である。名前をクリックすると顔写真が見れる。皆けっこう可愛い。私はこの娘が好みである。
http://www.uclabruins.com/sports/w-soccer/mtt/sweetman_nicole00.html

 話が横道に反れた。日本の場合、女子スポーツ選手は押しなべてブスばかりである。なぜならば可愛い子はロウティーンのうちからチヤホヤされて恋愛というドラッグばかりにかまけてしまい、スポーツに打ち込む暇がなくなってしまうからである。そして、社会がそれを容認している。

 外国は違う。恋愛というドラッグに溺れていると未来がないと皆わかりきっている。だからこうして何かに打ち込む女が多いのだ。だが日本はそうではない。皆が皆恋愛というドラッグに溺れまくっている。このような事態に私は危機感を持っている。このままでは今の20~40代の女が全員ホームレスになってしまうのがわかりきっているからだ。

 かと言って今から彼女らにスポーツに打ち込めと言ってももう年齢的に無理がある。良い仕事をさせようと思ったら尚更無理がある。と、なるとサブカル的なモノで自己を確立させてもらうしかなくなる。

 そこで私は釣りプロを思い出した。釣りならほとんど男女の体力差は影響しないし、釣った後の〆だのなんだのは女のほうが得意なんじゃないかなとか思ったからだ。しかも日本の釣り文化は諸外国に比べてハンパないレベルを誇る。

 そういうわけで釣りプロの女をプロデュースすると面白いのではないいだろうか。持ち上げられてる感じではなく超本格派な…釣りドル!!!ホームレス予備軍の希望の星!

 

 奴隷根性というものがある。これは支配階級から見た考え方で、「奴隷には所詮奴隷として生きていくだけの考え方しか出来ない」というものである。古代ギリシャやローマ、そしてイスラム世界、インドのカーストと、あらゆる地域で奴隷というものは歴史的に存在し、一部は現在でも残っている。南アフリカのアパルトヘイトなどもこの一種であった。

 奴隷身分の人間は長期的視野に欠けていることが多く、実際に奴隷階級が支配階級になると自分に都合のいい政策しかしなかったり、逆らう者や気に入らない者を大量粛清したり、大量の汚職をしてみたりととにかくロクなことにならない。一番いい例が南アフリカやシエラレオネである。歴史的には血塗られたエジプトのマムルーク朝がいい例であろう。

 これは、彼等が奴隷のモノの考え方から逸脱していないせいである。奴隷階級は、自分達が世界を作れるとは露ほども思っていない。今あるものから搾取することばかり考え、そこから先のビジョンなど見えていない。何故なら彼等には搾取する側とされる側、という社会構造しか見えてこなかったからである。自分が社会システムそのものを作るなんて考えは最初からないのである。

 さて、現代の日本を見てみよう。現代の日本人の多くは、いや99%と言っても過言ではない。日本人はそのほとんどが奴隷根性である。「苦労は買ってでもしろ」「働かざるもの食うべからず」「お上には逆らえない」等のキーワードを挙げれば皆さんピンと来るのではないだろうか。

 日本人は頭を使って楽することを罪とし、頭を使わないで苦労することを美徳とする民族なのである。何かと分相応という単語を使い、デカいことをしたがらない、気が小さく、冒険的な事を好まない。奴隷根性民族なのである。

 だがしかしこれはおかしい。日本という国は自然が豊かで、食い物には困らない環境であったはずだ。どちらかというとタイだとか南の島に近い生活環境だったはずである。彼等はどこか能天気である。全くセカセカしていない。事実、昔の文献を読むと昔の日本人は相当能天気である。滅茶苦茶適当で、大麻と酒ばかりやっていたようだ。今の日本人とは大違いである。

 では一体どこで日本人が狂ったのだろうか。私は徳川家康が作り上げた士農工商カーストシステムであると思う。豊臣秀吉だか松平誰彼だかが「農民は生かさぬよう、殺さぬように扱え」と言ったことで有名だが、彼は武士という支配階級を使って徹底的に下位カーストを苛め抜き、奴隷根性と奴隷の考え方を植えつけた。彼がどこからこのような支配階級の考え方を身に着けたのかは謎だが、結果として士族階級以外は奴隷根性へと変貌を遂げていく。

 だがしかし、幕末になって支配力が弱まると日本人が本来持っていた気質が復活し、幕府は安政の大獄などでこのような危険思想を取り締まったが遂に抑えきれなくなった。ええじゃないか音頭騒動などはこの典型的な例である。

 そして時は流れ、奴隷階級でない維新志士達によってついに徳川幕府が打ち倒される。この過程で維新志士、幕府共に農民を兵士として教育した。日本中に奴隷根性ではなく、支配階級の考え方を持つ人達が増えたのである。しかし、新政府が考えたことはカーストシステムの継続であった。そしてそのために、溢れすぎていた支配階級を排除しようと決めたのである。これに猛反対したのが西郷隆盛である。西郷は結局、士族という支配階級と共に滅亡の道を辿る。

  この時点で、日本国民のほとんどは奴隷階級出身の奴隷根性の持ち主となった。しかし一時的にそれがまた回復する。世界的に戦争の兆しが強くなり、どこの国も国民を兵士として育て始めた。日本も例外ではなかった。そのため大正時代は支配階級の考え方を持つ人が再び増えていった。そして日本は太平洋戦争へと進む。

 戦争では勇敢な精鋭ほど先に死ぬ。日本は派手に負け、わずかに残っていた支配階級層の考え方だった人はほとんどが帰らぬ人となった。GHQは日本を更に支配しやすくするために、当時の首脳陣達の処刑、支配階級であった華族の解散、財閥の解体、3S政策による奴隷根性促進、大麻の焼き払い等を行った。文字通り日本は骨抜きにされたのである。そして、これに日教組が拍車をかける。こうして出来上がったのが現在の日本人、超超奴隷根性民族なのである。

 ところでここまで書いてみて思ったんだけど、俺と同じこと考えて本にしてる人絶対いるよね?

 

貧困、とは何であるか、ということを考える。

貧困とは、GDPなどの貨幣所得状態を表す言葉ではない。生きていくための余裕度合いがない状態のことを指す。
例えば、自給自足生活を続けている南の島の部族の場合、所得貨幣はゼロである。しかし水産資源や森林資源に恵まれているため、生きていくための投資労力が少ない。まさに飽食、の状態とも言える。
反対に平成大不況にあえぐ日本国民の場合、食料は自給できず他国から買う必要があり、そのためには他国から貨幣を稼がねばならず、さらにその貨幣を稼ぐために他国から資源を調達し、他国のぶんまで生産している。投資労働力がかなり多い割に、確保できる食料資源は少ない。

このようにマイナス要素から見た場合貧困と裕福は、GDPで見る貧困世界と裕福世界とは全く逆の地図で示されることになるのだ。

そしてこのような貧困が何故起こるか。それは人口過剰である。何故人口過剰が起きるかは精神世界系の話題になるので他の機会にまわすが、概ねここで貧困=人口過剰、という定義が出来る。

では人口過剰になった土地ではどうするか。人口過剰になった土地では搾取システムが発達する。誰もが皆、自分より弱き物から奪い取ろうといった考えを持つシステムである。権力者が弱者から。そして最も弱き者たちは大地から搾取をする。こうして搾取システムの肥大(人口の増加)と拡張(権力の地理的拡大)多岐性(多階層化)を発達させ続けた結果、搾取システムの発達度(貨幣システムの発達度)が高いものが、搾取システムの発達度の低いものから搾取するという地域を大きく越えた拡張をもたらしたのである。

つまり経済的搾取をされているものは実は裕福であり、搾取しているほううは実は貧困であった、という面白い図が出来上がる。これに現代の地図をあてはめてみると、一番貧しい乞食国家が、裕福な国家から搾取を続けているという図が見て取れるわけである。

この国はいつになったら、豊かになるのであろうか。

 

をする人たちって何が楽しくてやっているのだろうか。

昔から海に行くと夜は花火をするのが定番、ということになっているからやっているのだろうか。
だとしたらそれは愚かな遊びである。

まるでそれは、クラブとくればナンパだろ、と音楽も聴かずに女を追いかけまくった挙句、誰も引っ掛からずに結局疲れて帰るくらい愚かである。

まるでそれは、上流階級と言えばミッション系だろ、とクリスチャンでもないのにミッション系学校に通い賛美歌を歌いながらダリィと思うくらい愚かである。

まるでそれは、峠と言えば膝擦りだろ、と無理膝でコーナーを曲がっていたら、アウトから原付に抜かれるくらい愚かである。

まるでそれは、スーツと言えばイタリア製だろ、と実は縫製が中国であるグッチを買って自慢するくらい愚かである。

まるでそれは、カレーと言えばインドだろ、とインド料理店に入り、ビーフカレーを頼んで、無いよ、と言われるくらい愚かである。

 その昔、ゼミの合宿で伊豆に行った。石廊崎の傍の実にいい浜辺だ。ところがゼミの後輩どもは、昼から酒を飲んでロッヂで宴会、夜は砂浜で花火。なんのために伊豆まで来たのかさっぱりわからなくなるのが嫌なので俺は連中を無視して海に遊びに行っていたのである。

 最後の夜だった。後輩の一人が、絶対花火をやろうとしない俺に無理やりライターを渡し、打ち上げ花火の導火線に火を付けるように言った。彼なりに、俺のための見せ場を用意したつもりだったのだろう。俺はそれがわかったから、しょうがなく火を着けた。導火線に火を着けると、大きな火の玉が3つ上がった。後輩達はそれを見て、綺麗だとかなんとか言って盛り上がっていたが、俺はちっとも楽しくなかった。

 夜の海に来たら、

 波の音を聞きたい。うるさい花火の音なんて聞きたくない。

 星空を見たい。火花なんて溶接工場で見てればいい。

 冷たい砂を肌に感じたい。火の熱さは料理で沢山だ。

 潮風を嗅ぎたい。硫黄っぽい煙の匂いなど嗅ぎたくない。

 

 花火は夜の海が持つ要素すべてを台無しにしてしまう。一体なぜ彼らはそんな野暮なことに熱中するのだろうか。風流を楽しむ心が欠落しているのだろうか。全く理解に苦しむ人種である。海で花火をやる人間の心理は未だに理解できない。

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