コミュ障の根源は自分が偉いと思っている所にある。人に話しかけたりする時は自分が下手に出なければならないものだが自分が偉いと思っている人間はそれが出来ない。また会話の中で立場を弁えずに浮いた発言をするのも自分が偉いと思っているのが原因である。
実力さえあればコミュニケーション能力はいらないと思っている人も多いだろうがそれにも限度がある。自分が偉いと思っている人と一緒に仕事や研究をしたがるヤツはいない。それは実際の行動に出るからだ。子供の世話をしたがるヤツはそうそういない。結果として本来の実力は発揮できない。
ちなみにこのコミュ障という言葉、どうしても無口な人間を想像しがちだが実はそのタイプだけではない。例えば自分が偉いと思って調子こいていて実は友達ゼロのヤツとかもコミュ障である。具体的には若くして自分が美人とか思っている女全員コミュ障である。また自分からしか話が出来なくて人の話が聞けない老害も全員コミュ障である。
尚日本の会社が休日とかもやたらと社員同士でツルませたがるのは上に行くほどコミュ障だからである。彼等はその性質ゆえに友達がいない。そこで会社の上下関係を利用して無理矢理人間関係を構築しようとする。ウゼェ・・・コミュ障が・・・
» 人間観察分析のブログ記事
健康管理は自分の精神と肉体の分離を認める所から始まる。自分の肉体を別物だと考えると必然的にケアするようになる。
例えばあなたに子供が居たとして、その子供に熱があったり痙攣したり嘔吐したり足を引き摺って歩いていたらどうする?
おそらく99%の人は容態を心配して病院に行かせたり、休ませたりするはずだ。これは自分とは別物の肉体だと完全に認識しているからである。
ところが自分の肉体となると精神と分離させて考えられる人は半分、日本人は八割が分離させて考える事が出来ていない。だから身体に熱があっても痙攣してても嘔吐してても足を引き摺っていても「まあ、気分が悪くないから大丈夫だろう」と言った感じでそのまま放置してしまう。
結果として病気になる。精神と肉体の感覚のズレに目を瞑るとこうなってしまう。
自分の身体を精神と分離させて考える事が健康への第一歩である。
今我々がやるべき事は世代間もしくは階層間闘争であって、国家という縦軸を基とした闘争ではない。横軸を基に国家の枠組みを超えて戦うべきだ。そうしなければ未来はない。
特に日中韓(多分北朝鮮も)少子高齢化、そして経済の行き詰まりを迎えている。中国はまだ勢いがいいがあと10年で高齢化の余波が来る。この三カ国は政府によっていいように操られて愛国者となっているがそんなくだらない事からは目を覚ますべきである。(一番馬鹿が多いのは韓国)ぶっちゃけ老害共を全員海に捨てても良いくらいの過激な活動が必要だ。さもなくばヨーロッパの二の舞だろう。
そういえばロシア極東って高齢化はどうなんだろうな。
鉄は熱いうちに打てとはよく言ったものだ。私はこの言葉を常に胸中に秘めているため、絶対にチャンスを逃さない。反対にこれが原因で私のことが苦手な人もいるのかもしれない。
人と何か共同で物事をやろう、という時、その話が盛り上がった時に後々の事まで細かく決めておかないと、だいたいその話は流れてしまう。だから私は話が盛り上がったら隙を逃さずに話を詰めるようにしている。この時の相手の態度は次の二通りだ。
1、ガンガン食いついてくる
2、だんだん返事が遅くなり、最後は返事が来なくなる。
2のパターンの場合、じゃあ返事を急かさないでゆっくり待っていれば話が成立したのかというと、そんなことは全くない。2の反応を見せる人はそもそも最初からやる気がないのである。
同じ事が人生にも言える。自分が話題の人になった時、隙を逃さずどんどん注目を集めるようにする。また来年頑張ればいいや、とかおいしい話が来たけどまた今度、なんて考えていたら鉄(大衆)は冷えて、何の反応も示さなくなってしまう。
また自分がミスした時や大事な人間関係を失った時も、すぐに謝ったりすぐに追いかけることが大事である。そうしなければやっぱり人間関係は冷めてしまい、うまくいかなくなるものである。
鉄は熱いうちに打たなければダメである。
今の世の中は皆がタイタニック号のような底に穴の開いた大きな船に乗っているようなものだ。補修はもう不可能になっている。
ところが人々は何をするでもなく、ただひたすらに行動するのをめんどくさがっている。現実逃避をして遊びに耽っているいるのも大勢いる。
行動しなきゃ死ぬ、とわかっているのにウダウダと理由を付けて何もしない。船が浸水して身体まで水に浸かっても何もしない。やがて密室と化した船内では呼吸できる水面がわずかになる。人々はそれを奪い合って、他者の脚を引っ張って殺し合いをする。だが結局船は沈む。水面と天井の隙間が無くなって、ついに呼吸できなくなった時に唇を天井につけて、「畜生!」と叫ぶ。だがそれは誰にも聞こえない。そしてそのまま死ぬ。こういう人達は自分で何かを変えようと動く事が死ぬよりも嫌いなのだ。
・甘やかされて育った人間はとにかく人に否定的な意見を言われるのを嫌う。なので俺のようにご機嫌伺いをしないような人間には無意味な反論をしたり、突然理不尽に切れたりする。他人は常に自分の機嫌を伺っている存在でなければ気に入らないのだ。こういうのは女にすごく多い。特にヨーロッパ系。
・甘やかされて育った人間は他人の好意のありがたみがわからない。何故ならしてもらって当たり前だと幼少時から考えてしまっているからだ。
・甘やかされて育った人間は常に関係が不平等じゃないと満足しない。自分のほうが損しているな、と感じたら人にも損させようと思う。つまり意地が悪い。
・甘やかされて育った人間は不平等な事を平気で口にする。それがおかしいとか恥ずかしいとか思わない。例えば一緒に食事に行って「俺500円払うから君1500円払って」とか平気で言う。また釣り合いの取れていない貸し借りを平気でする。
・甘やかされて育った人間は非常に無謀な希望的観測をする。誰がどう見ても客観的にはそんなはずないのだが、何故か現実を見ようとしない。また他者がどう考えているかに対しても非常に希望的に考える。他者が自分との付き合いで我慢しているかとか、本当は嫌がっているとか、そういう可能性については全く考えない。
尚、甘やかされて育ったかどうかは家庭環境だとかテーブルマナーである程度推し量る事が出来る。基本的にシングルマザー家庭は子供をクソ甘やかす。また食い方が汚い人も母親から注意を受けないで育ったというパターンが多い。その母親からして食い方が汚い場合はわからないが・・・