» 未来への啓示のブログ記事

 今世界中で最も話されている言語は英語である。これは何も大英帝国およびアメリカ合衆国が世界を制覇したから、ではない。英語の文献の持つ知識量が、その他の言語より遥かに多いから、世界中の人は英語を学ぶのである。現に我々とて日常会話で英単語を使いまくっている。それと共通する語彙を探すよりも、その単語をそのまま使ってしまったほうが速いからである。これは東アフリカのスワヒリ語がアラブ語の語彙を取り入れて完成したのとよく似ている。

 また、各個人の母国語がバラバラな集団がひとつあったとする。そうなると、そこで話される言語はその中で最も知識量のある人間の言語になる。それもそのはず、困った時みんなその知識人に相談するからだ。また、その知識人が持つ語彙を他言語に変換できる者がいないので、勝手にその単語がその知識人の持つ言語に固定されていく。例えばその知識人が電源、という単語を使ったとする。しかしその他の人々は電気供給のシステムを知らなかったとする。そうなると「電源」は「電源」以外の単語で表現することが出来なくなる。

 であるからして、研究開発を怠って知識の蓄積が少ない文化の言語は次第に滅んでいくのである。現代で豊富な知識量のある言語は、英語、フランス語、ドイツ語、日本語、オランダ語、イタリア語である。ウィキペディアを見てみればその情報量がよくわかるであろう。

 反対に滅びつつある言語は、アラビア語、中国語、スペイン語、ロシア語などである。

イスラムは国際宗教になりうるか。答えはノーである。

 現在イスラムの主流になっているのはスンニ派であり、スンニとは、慣習という意味である。預言者ムハンマドは後世に記録を残さなかったため、さまざまな派閥が生まれた。その中で、クルァーンと照らし合わせて不明な事項を判断する際に伝統的な慣習に従うとしたのがスンニである。

 しかし、ここで注意するべきことは、これはあくまで「アラブ人の」慣習であるということだ。よってスンニとはアラブ人至上主義であり、民族主義の一面を備えていることになる。スンニ派になれ、ということはアラブ人になれ、ということと同義なのである。

 例えばイランで栄えているシーアの12イマーム派と、厳格なスンニのワッハーブ派では礼拝の時間が異なる。スンニでは一日5回の礼拝が義務となっているが、第一回目と第四回目の礼拝はそれぞれ、日の出前、日没の間となっている。これはアラビア半島及び同じ緯度付近にある地域では問題ないが、白夜のある北欧ではどうなるのだろうか。日の出も日没もない。白夜までいかなくても、ある一定以上の緯度になると、夏と冬の日照時間がかなり異なる。これでは活動時間に大きなズレを生じてしまうことになる。

 このような無理な要求をされても、現実的に不可能なのである。その証拠として、イスラムが普及しているのは熱帯、亜熱帯の日照時間に変化の少ない地域に限られている。もともとイスラムは生活に根差した現実的な宗教のはずである。だが、スンニが盲目的にスンニこそ正統であると主張し続ける限り、真の共同体であるウンマの形成には至らない。

 事実、スンニの人にシーアやイバードの話をすると、感情的に否定する。そして最後には「スンニが一番正しい」と言うのである。そこで根拠を求めても、具体的な回答は出てこない。このような感情的な否定は、裏を返せば潜在的にシーアを恐れているということである。

 テロ組織は圧倒的にスンニが多い。シーアで目立つのはヒズボラくらいであるが、それもシオニストに反抗しているだけであって、スンニに反抗しているわけではない。一方スンニはシーアのモスクを破壊するテロをほぼ毎日のように行っている。ここにプアホワイトが作り出したKKKやモルモンと同じレイシズムを感じ取ることが出来る。

 スンニのシーア警戒は相当なもので、アラブ諸国はこぞってイランを無視している。これは12イマーム派の輸出を防ぐためである。12イマーム派を認めてしまうと、アラブ人の優位性が揺らぐからである。預言者の志に従うなら、このようなアラブ至上主義はイスラムの精神とは大きく反することになるのである。

 ではシーア派ならば、世界宗教たりうるかというと、これも答えはノーである。シーア派はアリーの血統しか認めていないため、事実上非常に政治色が強くなってしまう。また、イマームにクルァーンの解釈を変える権限が集中しているため、一歩間違えただけでたちまちカルト化する。よってシーアも適切ではない。

 期待できるのはイバード派と、残っているハワーリジュ各派である。どちらにせよ、新たな改革者が現れない限りイスラムが世界宗教になることはない。

 今日は男の立場からなぜ非処女が結婚に向かないかを語ってみたい。このエントリは多くの男の目を覚ますと共に、正しい男女のあり方を今一度見直すために内田貴洋が貴殿らに与える試練でもある。

 この理論を展開するとよく「え、でも自分が奥さんとしちゃったら奥さん非処女になっちゃうじゃん。」という馬鹿げた理屈で反論してくる阿呆がいる。このような事を言う輩は女の処女を勘違いしている。正しくは非処女=自分以外の男に身体を許した過去のある女、である。もっと生々しく言うと、自分以外の男に情けない格好で精子をどくどくと注入されちゃった過去のある女、である。ここをよく把握しておいてもらいたい。

 恋愛の本質は好奇心と独占欲である。好奇心がときめきをもたらし、独占欲が嫉妬を呼ぶ。後者はDNA理論、すなわち動物は自己のDNAをいかにして残すかということを本能として持ち、それに従って生きるという法則からも説明が出来る。ライオンやチンパンジーはグループのリーダーであるオスが入れ替わると、前のリーダーの子供を皆殺しにする。これは自分以外のDNAはどうでもよく、自分のDNAをいかにして残すかに重きを置いているからである。この行為を一般的に子殺しと呼ぶ。

 子殺しに見られるように、動物は自分の遺伝子の問題となると非常に神経質になる。 オスは自分の確保したメスに他のオスを近づけさせない。いつそいつの遺伝子が種付けされるともわからないからだ。これが男から見た嫉妬の正体である。
 嫉妬は今現在だけではなく過去にも及ぶ。過去に別の男の子を身ごもったとする。この時母体に大きな変化が訪れる。お腹の中の子の遺伝子の半分は男のものである。そして、母体はその子供と血を共有している。自分の純血な遺伝子以外はいらない、というのは子殺しで十分に証明されている。だから男は前の男と性交渉を持った女は避ける。

 また同時に、本来動物は避妊などしないものであり、DNA鑑定も自然界には存在しない。他のオスと交わった形跡がある場合オスは生まれてくる子供が確実に自分の子供であるという確証が持てない。であるからして処女という保障はオスにとって非常に有効な証明書になるのである。避妊してたから大丈夫、不安ならDNA鑑定もある、という問題ではない。これは男に本能レベルで組み込まれてる自己DNA保護の考え方であり、いくら理論を以って理性でそれを抑えようとしても無理である。

 以上動物的本能から嫉妬を説明した。次に人間的感情による嫉妬ー嫌悪の説明に入る。

 男は結婚というシステムによって女に最大の愛を示す。女権型社会では男に女の扶養義務がないので、女権型社会の場合は男は結婚で最大の愛を示すことは出来ない。しかしほとんどの社会は男権社会である。同時に男脳社会でもある。

 男は結婚する時に、一生この女を養って幸せにするんだ、という覚悟を背負う。最大の愛でその女を包む。最大の愛を証明するために毎日働く。これは結構しんどい作業だ。ギブ&テイクではないが、女のほうもそれに応えなければそのうち関係は破綻する。ところが女が他の男で処女を失っていると、女は最大の愛をその男に示すことが出来ない。女側から見たら軽い気持ちだったのだろうが、結婚するような真面目な男にとって、処女を失った相手の男というのは初婚の相手と何ら代わりはない。それはそうだろう。最後までやっちゃっているのだから、結婚した自分と一体何が違うというのだろうか。コンドームをつけないでセックスする権利があるかどうか?そんな下らない問題ではない。

 男はどうにか頑張って最初の男より大きな愛の証明を女から獲得しようとするが、いずれそんな事はどうやっても無理だと気づく。自分は頑張って最大の愛を示しているのに、女はそれを自分にしてくれない。最初の男への止まらない嫉妬、そして現状への苛立ち。これは想像を絶する苦しさである。相手を想えば想うほど苦しくなる。婚前非処女で結婚した妻達はこの夫の苦しみを理解してほしい。だが過去は決して取戻せない。男が誠実であればそれはDVという形になって現れる。事実DVの原因の90%以上が、このような嫉妬に基づく感情であるというデータがある。男が誠実でなければ、浮気しまくる。自分は最大の愛を誓ったのに、女は最大の愛を誓えてない。この不平等な関係に嫌気が差していく。こうして非処女婚はたいてい以下の道を辿る。

1:家に帰るのが嫌になり、酒を飲んだりパチンコをしたりしてとにかく家庭を顧みなくなる。誠実じゃなければ浮気をしまくる。

2:女を滅茶苦茶束縛する。奴隷のように扱うことで自分への愛を示させようとする。誠実であればあるほどそれに暴力がついてくる。だが結局そんなことは無意味と悟る。

3:自分以外の男の性器が入ったという事で女が汚物に見えてくる。一緒にいることが苦痛になる。ここまで来るとかなり重症。

 男は案外潔癖症なもので、自分以外の男の性的なモノは不潔と感じる。これは嫉妬の感情とはまた別問題だが、嫉妬から嫌悪という感情に至るプロセスにおいてこれが一気に拍車をかけてくれる。他の男の性器と間接キスなど誰もしたくはない。細胞は三ヶ月ですべて入れ替わるそうだが、いくら理性で自分を納得させようとしても無理なものは無理である。綺麗に殺菌消毒したとしても他人の歯ブラシなんて使えないだろう。

 こんなことを言うとすぐに人間をモノ扱いしてる、などと反論する女が出てくるが、人間をモノ扱いしているのは彼女達のほうだ。彼女達にとっては他人の精子など、ただのモノなのだろうが男にとっては究極に不潔な意味を持つ。

 以上人間的感情から嫉妬ー嫌悪を説明した。続いては人間的理性から何故非処女が結婚に向いていないかの説明をする。

 「すべての女は母である。」これは私が大好きな天才ムハンマドの言葉である。すべからく現代日本人のビッチスイーツはこれを忘れている。母は聖なる存在でなければならない。ある日突然あなたが母親に、「私お父さんの前にも彼氏がいたんだよね。セックスも沢山したよ。好きだったからね。気持ちよかったし。ひょっとしたらあなたじゃない子を産んでいたかもね。」などと言われたらどう思うであろうか。おそらくあなたは大きく傷つき、自己の存在を肯定できなくなるだろう。

 このような母の下に生まれた子は確実にまともには育たない。大抵の場合は同性愛者になる。人によっては「結婚しても別に子供いらないし」などとほざくであろう。しかしそのような人は人類の未来を放棄している個人主義の快楽主義者である。ここでもまたイスラームの言葉を引用する。

“ 「産みたいひとが産めばいい」というのも成り立たない。皆がそう考えれば人間はいなくなる。子を産まなければ人類は存続できない。そして母が子を良い人間になるよ うに愛情をもって育てなければ、排他的な人々があふれ、人類の文化も社会も壊滅するだろう。産まない自由を主張する者は、自分の母あるいは祖先がそのような考えを もたなかったからこそ自分が存在しているのだということを、どう受けとめているのか。産まない自由ということは、自分のことを考えているからだ。子供のためでも、 社会や人類のためでもない。もし何かの問題によって、子を産むことが困難や危険なら、その場合は他の問題であり、自由の問題ではない。

 自分だけを中心として考えるから、母になるか否かは自分で決める問題だと思ってい る。子を産んで育てるかどうかは、子が欲しいかどうかの問題だという。子は親のも のという感覚だ。自分中心主義。そこから断絶や非行やいじめがスタートする。産まない自由などという人々は、自立と独立を求めすぎて、かえって自分を人類の流れから切り離してしまい、自己の存在感を失ってゆく。あるいは、自己の存在意義など認 めていないのかもしれない。偶然に生まれてきて、なんとなく死んで行く。生まれてきたから、しかたなく生きている。生きていても死んでも変わりはないが、わざわざ 死ぬこともない。そして人類が存在しようと滅亡しようと、どうでもいいことなのだ ろう。 ”

 このような人類の未来を考えない人間は無責任で自己中であるので、社会的に害悪として認識されなければならない。間違っても母親になってはならない。母と同じく無責任で自己中な子供が育つだけである。

  続いて浮気の可能性の問題がある。女は精神的に弱くなった時に元彼にすがる奴が多い。元彼というのは便利な存在である。友達以上恋人未満、それでいて気楽に付き合える相手。こんなふうに考えている女が大勢いる。元彼といつまでも身体の関係を続けている女のなんと多いことか。また元彼にすがらない女であろうと、経験人数が多いほど浮気へのハードルは低くなる。犯罪を犯す時に0回目から1回目、1回目から2回目、3回目から4回目、と経験地が増えるほどハードルが低くなるように、浮気問題も同じことが言える。彼氏をとっかえひっかえしていた女は乗り換えの罪悪感がほとんどない。反対に0から1へのハードルは果てしなく高い。よって処女婚のほうが浮気をする可能性は絶対的に低いのである。

 更に比較対象の問題もある。ドラッグと同じで大麻しか知らなければ大麻で満足するが、よりハードなドラッグをやればやるほど、先にあるトリップの可能性を求め続け、質も量も過激になっていく。恋愛も同じことが言える。多くの男を知れば知るほど男に対する要求値が高くなっていく。そして、乗り換えを一度経験すると「ダメだったら別れて新しいのを探せばいい。」という発想が出来てしまう。現状の関係をなんとかして改善しながら保っていこうとは露ほども思わなくなる。

 よくその時は本気だったから、などと言い訳をする女を見るが、本気ならなぜ別れてしまったのだろうか。愛が軽いにも程がある。或いは好きだったからしょうがない、などとのたまう。成る程つまり結婚した後に誰か別の人を好きになって、本気になってしまったら簡単に身体の関係を持つわけだ。恋心というのは長くても3年で冷める。3年経ったら他の男にときめいて、好きになってしまったから浮気もしょうがない、という理屈になるのであろう。そんな女は母になる資格もないし、妻になる資格もない。こんな女の「本気の愛」を信じろ、というほうが無理である。反対に処女婚であった場合、恋心が冷めても自分以外を知らないという信頼がある。なので愛は残る。愛が残っている限り関係は続く。そのうち何かのきっかけで恋心が復活する。殆どの男は年を取っても愛妻家でいたいものだ。

 以上長くなってしまったが、非処女が結婚に向かない理由を説明した。
とは言え婚前非処女の諸君が絶望する事はない。ただひとつ、婚前非処女でも結婚して幸せになる道は残されている。

 それは男を養う事である。自分が夫に最大の愛を示せなかった事を懺悔しながら毎日過ごすのだ。そして、長期間に渡る愛の証明として、男を扶養するのである。この形態なら婚前非処女でもある程度幸せな結婚生活が送れるが、当然自活できないレベルの男としか結婚できない。そしてまた、夫を狙う処女が現れた場合、婚前非処女だった女は絶対彼女に勝つ事が出来ない。

 
 

 さて昨今のビッチスイーツ文化について言及する時がやってきた。
このすべてを極めし内田貴洋が、ビッチスイーツがどのようにして作られるかを語る。

 女は思春期を迎えるといかにして異性にチヤホヤされるかを考えるようになる。そして若い内は誰でもそうだが、自己の身の程など弁えてはいない。また人間は誘惑に弱い生き物である。個人差はあれど、たいてい14~16歳程度で様々な男から身体目当てでチヤホヤされるようになる。誘惑の大バーゲンの開始である。

 この段階で、頭の中がいかにチヤホヤされるかばかり考えている人間は人生に大満足してしまう。自分は一生こうやって生きていくのだと勘違いしてしまう。何故なら、そう考えることが最もイージーであり、他の事を考えようものなら将来への不安や自己鍛錬などのストレスを常に感じることになるからだ。だから最も楽なことしか考えない。これを思考の停止、世の中への甘えと言う。本質を隠して寄ってくる男達、モノを消費させようとするマスコミ、そして自分達が幸福になれないとわかっている同性ビッチスイーツ達からの誘惑がそれに拍車をかける。こうして完全に洗脳されてしまった若い女は自己と相手の釣り合いや、相手の本質を見ずに、ファッション感覚で男と付き合う。

 だが大抵はヤリ捨てされてしまう。自己の内面を磨くのを止めたから中身がなくて飽きられて捨てられてしまうのか、或いは相手が元から女=やり捨てみたいな薄っぺらい男だったのかは場合によるが、どちらにせよ失った純潔は二度と戻らない。純潔というのは男にとっては非常に重要な要素であり、これを失った女は90%以上もうまともな結婚前提の付き合いはできない。いわゆる遊び用の女に成り下がる。気づかないのは本人ばかりで、男側はひたすら本音を隠し、その女を仲間内で次々とたらい回しにしたり、飽きたらすぐにポイ捨てしたりする。このような男からの自己否定が続くうちに、これらの女は男性不信になる。

 男性不信になった女の行動パターンは次の二通りである。
1.男に対してやたらと攻撃的になる。
2.男を手玉にとって遊んでる私クール、と悦に入る。
ほとんどの場合は後者になる。
1がフェミババア、2がいわゆるインターネットスラングで言うところのビッチスイーツである。ビッチスイーツは男に身体目当てで言い寄られているだけなのに、自分に価値があると自分に自己暗示をかけている。実際は価値などなく、単に弄ばれているだけなのだ。本人もそれをよくわかっている。だから長年ビッチスイーツをやっていると欝病になっていく。

 20歳を過ぎたあたりからビッチスイーツの勢いが止まる。男が寄ってこなくなるのだ。だが、今更内面を何も磨いてこなかったビッチスイーツに人生を立て直す実力など残っていない。悔い改める事も出来ない。自己を否定する事になるからだ。鬱病状態で自己否定を認めてしまったらもう自殺するしかない。最後最後の部分の生への執着がそれを踏みとどまらせている。

 25を過ぎる。このへんからもうまともな男は全く寄ってこなくなる。しょうがないのでビッチスイーツは身体を餌に、それまで絶対に相手にしてこなかった容姿のひどく悪い男を誘惑し、肉体的にも精神的にも依存するようになっていく。欝がひどくなり、薬が増えて太っていく。生活リズムがガタガタになり肌が滅茶苦茶。徐々に相手にする男も減っていく。

 27を過ぎる。もはや容姿がひどく悪い男からも相手にされなくなる。だがまだこんな豚でもやりたい男はいる。それは外国人である。外国人から見れば日本女は実年齢-5歳くらいだからだ。つまり外国人は彼女らを22歳くらいの感覚で見ている。

 外国人は遊び用の女と結婚用の女をはっきりと分ける。遊び用の女には徹底的に短期決戦を挑む。そこで使われるのがご都合主義レディーファーストだ。本来レディーファーストはレディにしかやらないのだが、外国人は日本女とやるためならそれを平気で悪用する。こうして「やっぱ日本の男はダメ。外人はいいよ。」とか抜かすイエローキャブビッチスイーツの完成。またしても身体目当てに寄って来てる事に気づかないフリをしてあくまで自分がイケてる女と自己暗示をかけ、心の底の真実を認める理性と戦いながら30歳まで欝病の薬を増やしつつ自殺未遂を繰り返したりして過ごす。

 30を過ぎる。もはや外国人ですら相手にしてくれなくなる。ここでビッチスイーツは自分の生き方がいかに自己の価値を省みず、自己鍛錬も全くせず、見栄と快楽に流されてただ消費しかしてこなかった糞みたいな人生だったかと気づかされる。たいていの場合は実家に戻り、自殺してTHE END。これが内田貴洋が見てきたビッチスイーツの一生である。サンプリング数は50近い。ほとんどがこんなテンプレ通りの生き方をして、死んでいる。

 ビッチスイーツは愛人モデルの生き方を中途半端に自分に取り込んでおきながら、本妻タイプの生き方を将来的に送ることが出来ると考えてるから失敗するのである。このそれぞれの人生タイプについては別の機会に述べることにする。
 この二つの生き方を同時に選択することなんて不可能である事を、大人がきちんと教えるべきであった。結婚したら今までの生き方がリセットされるなんていうデマを流したマスコミの罪も重い。だから若い頃は沢山遊んでー、沢山恋愛してー、28くらいで落ち着いた男の人と結婚かな。なんていう人生と男をナメた信じられない発想の女どもが大量生産されているのだ。

 さて今現在まだ貞操がある女性諸君は、次の事を肝に免じておきたまえ。

1 最初の男を最後の男にしなければ、君に幸せは訪れない。軽い気持ちで最初の男を決めてはならない。君には可能性とそれに見合う価値がある。

2 若い内は20人男女がいれば女全員が一人の男を選ぶ。価値観の多様化が起きていないからだ。年を重ねるとそれぞれの「かっこよさ」を理解できるようになる。反対に若い頃かっこいいと思っていた男が、燻って見えるようになることもある。だから若い内の自分の鑑定眼などアテにしない事だ。

3 男を選ぶ事を考える前に、果たして自分が恋愛をして良いレベルまで精神が成熟しているかどうかをよく考えることだ。子供のままではやり捨てされる。常に自己鍛錬の気持ちを忘れてはならない。自分が母になる覚悟がないうちは、恋愛などまだまだ早い。

4 上記の事をわきまえ、条件を満たし、それで好きになった異性がいるなら付き合うが良い。しかし結婚するまで身体の関係は持たないことだ。純潔は二度と元には戻らない。

以上、内田貴洋の救済の言葉。

 ブログ移転後初めての投稿となる。

私がよく女性について語ると、「今時そんな人いないんだから。」と言った声を非常によく聞く。だがじっくり考えてみてほしい。これはフェミニスト達の罠なのだ。今のバブル世代以降、日本はアメリカやノルディック諸国と同じくフェミニズムにやられた。女は女であるというだけで価値があるとされ、皆がその風潮に踊らされた。人間的魅力を磨く女がいなくなり、挙句の果てには遊びまわった自分にまだ価値があると勘違いし、しょうがないから結婚してやるといった態度に出た。

 世の中の多くの男は若い頃遊び回ってチヤホヤされて感覚の狂った女と結婚し、毎日プライドを傷つけられながらじっと耐えている。私は言いたい。お前達、そんな結婚生活で幸せか?そんな残飯引き取って精神状態大丈夫か?と。
だがそういう人に限って自己評価が低く、「こんな俺と結婚してもらえたのだから。」などと言う。しかもこういうパターンは大抵の場合妻が専業主婦で出来ちゃった結婚である。

 ビッチスイーツ、この単語自体はインターネットスラングであるので、その意味はご自身で調べて頂くとし、ここではそれより一歩進んだ議論をしたいと思う。
ビッチスイーツと結婚するなら外国人と結婚しろ!これがこの内田貴洋の出した回答である。

 ビッチスイーツは中学生くらいからいかにして容姿でチヤホヤされるかに夢中になり、中身をまるで磨いていない。つまり中学生くらいで精神年齢が止まっている。以下、ビッチスイーツとの会話例を挙げる。

例1
「ねぇ、どこ行きたい?」
「えー、楽しいところ。」
「どんなのが好きなの?」
「わかんない。考えてよ。」
「好きな食べ物とかある?」
「えー、肉とか。」
「肉って言ってもいろいろあるよ。」
「えーわかんない。」

例2
「ちょっと車壊れちゃったんだけど」
「壊れた?どういうふうに?」
「え、なんか朝起きて乗ろうとしたらエンジンかかんない。」
「何か心当たりとかある?」
「え、わかんない。」
「いつもと違うところは?」
「え、どこだろう。わかんない。見に来てよ。」

 他にも色々なパターンがあるが、大抵はこんなもんである。

 さあ、ここでよぉぉおく考えてみてほしい。上記の会話、外国語でも出来るだろう。つまりビッチスイーツとの会話内容ってのは我々がつたない外国語で交わせる程度のレベルなのだ。ビッチスイーツと一緒にいても深いコミュニケーションが得られることはない。言葉が通じなくても聡明な外国の女と結婚するべきである。どうせビッチスイーツと結婚しても子供の世話を焼くようなもので、ロクな事はない。外国の女と結婚したほうが得るものは多い。

 今現在ビッチスイーツと結婚している男はすぐに離婚しろ!子供はいくらかわいくても見捨てろ。ビッチスイーツの遺伝子などいらないだろう。どうせ出来損ないしか育たない。特に子供が女なら最悪だ。ビッチスイーツスパイラルだ。月に1回最低限の養育費を払うだけで、君は人生の輝きを取り戻せる。君は今、本当に自分の家庭が楽しいかい?胸に手を当ててよく考えることだな。

ビッチスイーツは、幼稚で、頭が悪くて、自分で何もすることが出来なくて、精神的なケアまでこちらに押し付け、しかも日本人のほとんどはスタイルがひどく悪い!で、貞操がない!全くいい所がない!
なので、ビッチスイーツと結婚するくらいなら外国の女を狙えという事だ。幸いアジア人は童顔に見られるのである程度の年齢まで行っても十分TEENを狙えるであろう。以上。

 子供達は何故か親や教師といった身近な大人を反面教師にするものだ。

 大人が勧めるモノはダサい!親や教師が勧めたモノは軒並み仲間内で却下され、親や教師の言いつけを守ってる奴は仲間はずれにされる。この日記を読んでいる皆さんもそんな経験があるのではなかろうか。

 サウスパークというアメリカの有名な社会風刺アニメがある。そのサウスパーク村でポケモンが流行り過ぎてどうしようもなくなった時、大人達が思いついた解決策が皆でポケモンをやる、という手段だった。大人達が勧めだした途端、子供達はポケモンを破棄したのだった。

 さてこのような「反面教師」現象は日本でもはっきりと形になって現れている。一番わかりやすい例が同和問題である。

 関西に住んでる人は信じられないだろうが、生活上東京では部落差別はほとんどといっていいほどない。若い世代は部落の存在すら知らない。この私も18歳になってから初めてその存在を知ったのだ。

 逆に関西では部落差別をやめよう、と子供の頃から教えこまれる。皮肉にもこれが反面教師効果を生み、未だに部落差別が根強く残っている。結局人間の良心に期待する教育なんてなんの効果もないということだ。(典型的な例がカトリック)

 さて現代日本はいよいよ格差社会に突入する。持つものがより多くを持ち、持たざるものはどんどん失う社会になっていく。こんな中で教育のあり方に疑問を持つ人も増えていくだろう。いや、実際現在の教育が失敗したから今の日本人のモラルがこんなにも低下しているのではなかろうか。

 そこで私は提案したい。大人達が今までと180度方向を変えて、「みんな一緒じゃないよ。君と他の人はこんなに差があるんだよ。平等じゃないんだよ。」と教えこむのである。「みんな平等!誰もが一番!」なんて教えてるからいじめが起こるわけである。
「手をつないで一列でゴール!」なんてことはせずに敗者を徹底的にいじめまくってこき下ろす。さてこれをやったら日本人のメンタルはどう変わるのであろうか。楽しみである。
 

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