» 比較文化のブログ記事

 人生にはここぞ、という瞬間がある。これを読み取れるか読み取れないかでその人の人生が大きく変わる。この嗅覚は他人の人生の観察を重ねるほど鋭くなっていく。つまり他人に無関心な人はこの嗅覚が育っていない。また、この嗅覚は苦労を重ねるほど失敗に臆病になって鈍感になる。

 もし貴方が誤まった判断をしたと感じたならば、外堀から猛スピードで埋めるべきである。この選択肢のミステイクは一人でリカバリーできるような生易しいものではない。だがしかし、このような判断ミスをする人は大抵周りの人間に無関心であるので、周りからのフォローアップなど期待出来ない場合が殆どである。

 概して日本人はチャンスとか転機に鈍感。また同じ機会が来るや、と思っている。しかしそれは二度とやってこない。

 日本を代表する習慣に敬語が上げられる。日本の敬語は外国の丁寧語、尊敬語とは違い、年齢とセットなのがミソである。相手が自分より年上か年下かで立ち位置が固定されると共に、敬語でその位置関係を常に確認させられる所にその特徴がある。大抵の自称愛国主義者に言わせると、これは日本の良い文化なのであるが果たしてそうであろうか。

 老人を敬うという習慣は実は世界中にあって、敬語に相当するものも世界中に存在する。人間社会では長く生きているほうに権力が集まるのは当たり前であって、必然的に人間崇拝、権威主義が生まれる。これはどんな社会でも見られる構図である。事実ロスチャイルド家のマナーブックには「西欧社会と違いアフリカやアジアでは老人は敬われるものだから注意しなさい」という記述まである。

 果たしてこれが良い事であるかと言うとそうではない。既得権益が出来上がって老害が発生するただの悪循環構造の形成にしか繋がらない。この構造悪をいち早く見抜いたのは砂漠発祥の一神教である。激動の中東発祥のこれらの宗教達は何よりも戦闘のための団結を最重要視する。変な上下関係など戦闘のための団結の障害でしかない。よってユダヤ、キリスト、イスラム共に「唯一神の名の下の平等」を説いて老人を敬う事や年上権威主義を封じ込めている。

 つまり実は敬語や年上崇拝を封じている状況こそが人間によってストイックに社会が保たれている状況であり、年功序列なんてものはただの社会の堕落なのである。実際、日本から敬語や年上崇拝が消えれば日本人はもっと纏まる事が出来るだろう。団結を妨げているのは敬語及び年功序列主義である。後輩が先輩を追い抜く事なんてありえない、という社会である以上、実力者が上に立って指揮を執るなんてのも夢のまた夢である。また下の者が上の者を追い抜く事が許されていないから、下の者はいつまで経っても上の者より精進する事はなく、全体としても進歩しないのである。

 但し、この理論を以ってしても説明できない土地がある。それはお隣の国中国である。なんと中国は敬語どころか軍隊用語すら「是」(Roger)くらいしか存在しない。それ以外は全くの実力主義なのである。儒教発祥の地であるが実際は道教の国であり、世界で最初の農民政権が誕生したのも中国である。易姓革命もしょっちゅうで、権威主義など全くない。むしろヨーロッパの貴族制やイスラムのカリフ制のほうがよっぽど権威主義的である。中国は変な国である

 韓流、韓国の芸能界が世界特に日本にゴリ押しされている事が問題になっている。いわゆる右翼と呼ばれるような人達やインターネットの世論がこれに猛反発している。彼らの言い分としては韓国はメディアコントロールを使って日本国民を洗脳しようとしている、というものだ。

 ところが実際に文化的侵略を受けているのは韓国サイドであって、いわゆるハンリュウアイドル達は日本ウケを狙いすぎて美的感覚が日本化している。それにつられて一般韓国人の若者もどんどん日本化している。
10年前は韓国はアメリカ並みにマッチョ文化の国であって、日本のジャニーズのようなヒョロヒョロの男はモテなかった。しかし最近の韓国の男は化粧はするわ、ピアスだらけだわ、サイケデリックな色使いの服を着てるわでまるでゲイである。韓国人はメディアコントロールをしていい気になっているが、実際そのメディアコントロールの被害を受けているのも韓国人である。

 これは自分達以外は滅べ!とメディアコントロールをしてアメリカの大衆を3S政策で馬鹿にしようとしたら、自国の若者達がラブ&ピースとか言っちゃってフリーセックスとドラッグの快楽主義に溺れてしまったイスラエル(シオニストユダヤ)によく似ている。ミイラ取りがミイラというわけだ。

 韓国は現在最悪の経済破綻危機にあり、その上アメリカにFTAで不平等条約を押し付けられて崩壊寸前である。なのに国を挙げて自国の宣伝に金を使って、一体何がしたいのであろうか。韓国人及び在日韓国人がこれだけの発展を出来たのは団結力のおかげなのだが、韓国本土では超学歴社会による格差が広まっており、あと10年もしたら韓国人達は団結力を失う。そうなった時に心のよりどころとなるのは文化なのであるが、その文化は軒並み日本化してしまっている。ただでさえ宙ブラリンでアイデンティティのない韓国人は一体どこへ向かってしまうのだろうか。

 日本における在日問題は根が深く、これを排除するのは困難であるから、在日が嫌いな人は日本から出て行ったほうがいい。何故自分達の土地から出て行かなければならないんだ!なんて思うかもしれないが、土地に拘るのは農耕民族の愚かな習慣であり、グローバル化社会の現代には合わないのでこんな考えは捨てるべきである。また、殆どの日本人はTVを見て思考の停止を望むような愚かな売国奴ばかりなので、それに付き合って自分まで身を滅ぼすことは愚直である。

・余談であるが、外国に行くと韓国人が日本人に擦り寄ってくるのに驚くと思う。彼らは自分達の文化を失っているので、日本人に寄生して回っている。相手にする日本人も馬鹿であるが、一生懸命日本語を使ってまで媚びて来る韓国人を見ると哀れだなと思う。以上内田貴洋の未来への啓示。

 

・     アングロサクソン

こいつらはもともと海賊である。自由気ままに行きたい所に行って略奪する、というのが彼らの歴史である。であるからして、好奇心旺盛で無鉄砲である。アングロサクソンは何よりも冒険を好む。無茶な所に行く、というのが第一目標であり、そこで何をしたのかとか、楽しめたかなんてどうだっていいのである。事実短期滞在ですぐにどっかに行ってしまう。リゾート地に来て本なんて読んでいるのもこいつらである。何をしたかなんてどうだっていいからだ。

・     フレンチ

 彼らは定住農耕牧畜民族である。であるからなるべく土地を知ろうとする。貪欲にその地の文化、人間、権力構造を吸収しようとする。フランス自体が帝国としての長い歴史を持っているので、他者の文化を文明としてまるごと呑み込んでしまおうとする。長期滞在で現地人の服を着て現地食ばかり食べている白人がいたらまずこいつらだと思っていい。その証拠にあちこちでブリティッシュブレックファスト、アメリカンブレックファストを見かけるが、フレンチブレックファストなんて見たことがない。

・     ジャーマン

武装開拓農民の末裔である。日本の武士とその成り立ちがよく似ている。習慣が似ているのも当然なわけである。彼らはいかにしてその地でハードな事に挑戦したかを競い合う。その土地の文化や人間にあまり興味を持っていない。あくまで自分、自分である。現地人と触れ合おうなどとは全然考えていない。

・     ロシア

 ロシア人はモンゴルに蹂躙された歴史を持つ白人種である。相当数がモンゴル人にレイプもしくは奴隷として扱われ、モンゴルの血がかなり入っている。モンゴル人はチンギスハーンの名言に代表されるように、残虐を好む民族である。この遺伝子がロシア人には組み込まれている。よって集団で暴力行為を働くのが大好きである。また、極寒の地域に住んでいた民族であるから、意外と慎重派である。ローリスクで無敵状態、というのが好きなのである。無鉄砲な行動はロシアでは死を意味するからだ。彼らはまずマフィアを派遣し、その土地の裏社会を牛耳る。その後、コネを伝って集団で遊びに来る。この辺は少し中華の民と似ている。やはり国土がデカいと田舎っぺになるということなのだろう。コネがない土地には絶対行かない。行くのは売春婦だけである。売春しながら旅行しているのである。女だけで肌の露出が多い集団はまずロシア人である。

・     アラブ

 アラブ人は武装隊商で発展してきた民族である。彼らは商売のできない場所には行かない。彼らは土地を見て、まず儲かるかどうかを計算する。儲かるとわかったら武装した先発部隊を派遣し、その土地で一定の勢力と交易ルートを作り上げる。こうしてその土地でアラブ人街を作ったら、本土の連中が往来するようになる。彼らの文化(スンニ)は非常に頑固なため、他者の文化を真似しようだとか、吸収しようだとかは微塵も思わない。見聞という事はまずやらない。あくまで利を求める。買い物ばかりしているのもそのためである。

・     中華

中華の民も基本的には商業で繁栄してきた民族である。アラブ人と同じく、儲かるか儲からないかを見て判断する。儲かるとわかったら、金を局所集中させて現地人を買収し、中華街を作り上げる。更に中華系だけでカルテルを固め、その土地の利権を牛耳ってしまう。価格競争を始めて現地人達を潰していくというやり方もよく使う。一族の金を局所投資するという彼らの血縁主義あってのパワープレイである。中国人は金の力を他のどの民族よりも知っている。よって一旦金を握ると傍若無人な振る舞いをする。非常にドライで見栄っ張りなのも特徴である。個人の楽しみより、他者への顕示を優先する。看板と共に写真を撮りたがるのもそのためである。他人に見せる意味のない行動は絶対に取らない。

・     日本人

 日本人は海洋山岳民族である。どの民族よりも自然をよく知っている。自然を研究し、自然と遊ぶ事に関して日本人の右に出る者はいない。自然を極めるのが日本人なのである。日本人はアングロサクソンやフレンチの真似をしたバックパック旅行なんて本来向いてないのである。そもそも彼らほどの汚物耐性もない。日本人は1週間風呂なし、服もそのままなんて耐えられる人のほうが少ない。かといってアラブや中華のようにコミュニティを作る団結力もない。

 日本人が最も楽しめる旅行スタイルとしては、ホームステイ型であろう。生活そのものは他者に世話してもらい、自分はその地でやりたい事をやる、というものである。会社の海外出張などもこの形態の一種である。幸いにして我々は特に頑固な習慣もないし、他者に世話になることに抵抗が全くない。日本で作ったツールを持って行って、現地で自然を極めるのが日本人の至高であろう。

イスラムは国際宗教になりうるか。答えはノーである。

 現在イスラムの主流になっているのはスンニ派であり、スンニとは、慣習という意味である。預言者ムハンマドは後世に記録を残さなかったため、さまざまな派閥が生まれた。その中で、クルァーンと照らし合わせて不明な事項を判断する際に伝統的な慣習に従うとしたのがスンニである。

 しかし、ここで注意するべきことは、これはあくまで「アラブ人の」慣習であるということだ。よってスンニとはアラブ人至上主義であり、民族主義の一面を備えていることになる。スンニ派になれ、ということはアラブ人になれ、ということと同義なのである。

 例えばイランで栄えているシーアの12イマーム派と、厳格なスンニのワッハーブ派では礼拝の時間が異なる。スンニでは一日5回の礼拝が義務となっているが、第一回目と第四回目の礼拝はそれぞれ、日の出前、日没の間となっている。これはアラビア半島及び同じ緯度付近にある地域では問題ないが、白夜のある北欧ではどうなるのだろうか。日の出も日没もない。白夜までいかなくても、ある一定以上の緯度になると、夏と冬の日照時間がかなり異なる。これでは活動時間に大きなズレを生じてしまうことになる。

 このような無理な要求をされても、現実的に不可能なのである。その証拠として、イスラムが普及しているのは熱帯、亜熱帯の日照時間に変化の少ない地域に限られている。もともとイスラムは生活に根差した現実的な宗教のはずである。だが、スンニが盲目的にスンニこそ正統であると主張し続ける限り、真の共同体であるウンマの形成には至らない。

 事実、スンニの人にシーアやイバードの話をすると、感情的に否定する。そして最後には「スンニが一番正しい」と言うのである。そこで根拠を求めても、具体的な回答は出てこない。このような感情的な否定は、裏を返せば潜在的にシーアを恐れているということである。

 テロ組織は圧倒的にスンニが多い。シーアで目立つのはヒズボラくらいであるが、それもシオニストに反抗しているだけであって、スンニに反抗しているわけではない。一方スンニはシーアのモスクを破壊するテロをほぼ毎日のように行っている。ここにプアホワイトが作り出したKKKやモルモンと同じレイシズムを感じ取ることが出来る。

 スンニのシーア警戒は相当なもので、アラブ諸国はこぞってイランを無視している。これは12イマーム派の輸出を防ぐためである。12イマーム派を認めてしまうと、アラブ人の優位性が揺らぐからである。預言者の志に従うなら、このようなアラブ至上主義はイスラムの精神とは大きく反することになるのである。

 ではシーア派ならば、世界宗教たりうるかというと、これも答えはノーである。シーア派はアリーの血統しか認めていないため、事実上非常に政治色が強くなってしまう。また、イマームにクルァーンの解釈を変える権限が集中しているため、一歩間違えただけでたちまちカルト化する。よってシーアも適切ではない。

 期待できるのはイバード派と、残っているハワーリジュ各派である。どちらにせよ、新たな改革者が現れない限りイスラムが世界宗教になることはない。

 進化論、皆さんご存知だろうか。いわゆるエボリューションである。進化論には二つの意味がある。進化が起こっているという意味と、もうひとつは進化のメカニズムを説明するという意味だ。この後者において、現在進化論には様々な説があるが、最も有力なのは自然選択説である。これは即ち、ひとつの種の中である形質を持つグループと持たないグループが出来、環境の変化によってその形質を持つグループが生き残りやすく、その形質を持たないグループが生き残り難くなった時、その形質を持つグループが徐々に生殖に有利になり、その形質を持たないグループは徐々に淘汰されていく、というものである。

 この例を説明するのにはキリンなどがわかりやすい。少しでも長い首を持つほうが生存率が高くなり、当然生存率が高い固体のほうが子孫を残しやすい。よってキリンは全体的に首が長く進化した、という事である。

 これとは別に性選択説というものがある。こちらは生存率とは別に、生殖競争において有利なほうが子孫を残せたので、その種は徐々に生殖競争に有利な形質を持った個体に進化の方向がシフトした、というものである。カブトムシの不必要にゴツい角や孔雀の明らかに無駄で生存に不利な羽などを見ていただくとわかりやすい。要するに同性間の戦いや性的魅力が高いほうが子孫を残せたので、生存に不利な形質であろうとその種はその方向に進化した、という事である。この性淘汰説は自然淘汰説とは別のベクトルであるが、広義の自然淘汰説の中に含まれている。

 人間も自然選択説や性選択説とは無縁ではない。例えば我々日本人は新モンゴロイドである。我々新モンゴロイドは極寒のシベリアで進化した種類である。極寒のシベリアでは吐息が凍るため、鼻腔が小さく凍りにくい形質を持つ個体が生き残った。上顎突出も鼻腔を縮めるためで、目が小さいのも凍結に対して有利に働くため。胴長短足なのは体の表面積を小さくするためである。体の表面積が小さいほうが体温が逃げず、極寒の土地でも生きながらえられたのである。そしてこれはこの内田貴洋の説なのだが、胴長で重心が低いのは我々新モンゴロイド(アルタイ語族)が遊牧騎馬民族だったからであろう。胴長で重心が低いほうが馬上での戦いには有利である。意外かもしれないが、西欧の白人も胴長短足である。但し彼らの大腿は細い。

 それとは全く反対なのは東アフリカのナイロティック系黒人種である。手足が長く、胴が短い。下顎突出で目が大きい。これは我々とは全く逆で、熱すぎる土地でいかにして熱を放出するかという点に特化した形質である。我々とは逆にこの地域の人種は体の表面積を大きくして、クーラー機能を充実させたほうが生存に有利だったのである。目が大きいのはより多くの情報を入手できるためなのか、あるいは性淘汰かはわからない。同じく下顎突出の原因も知らないが、気になる人は調べてみてくれ。

 さて、ここからが本番である。この内田貴洋は性懲りもなくまた中国に行ってきたのだが、そこでひとつの仮説を思いついた。

 それは、文化も自然選択、または性選択によって進化する、というものである。

 例えば日本人やドイツ人といえば、その文化の性質はとにかく几帳面でモノを作らせたら世界一である。これはなぜそのような文化になったのかというと、日本やドイツでは優れたモノを作れた人間が生き残れた、或いは同性間競争で有利になったから、つまり良いものを作れた奴がモテたから、である。反対に中国人は何を作らせても三流である。しかし、見た目だけはキッチリ作る。実際使ってみるとてんで駄目なわけだが、見た目だけはキッチリしている。つまり中華とは、ひたすら見た目だけを重視している文化なのである。見た目良ければすべて良し。とてつもない美人が沢山いて、3日に1回髪型をセットするほど見た目には気を使うが、この女達がケツをロクに拭かないなんてのはザラである。表だけはピカピカ、中はボロボロ。これは建物なんかでもそうである。とにかく見栄っ張りのハリボテ文化なのである。服屋と美容院が異常に多いのもこれで納得がいく。そういえば中国ではあまりひどいブサイクは見ない。中国は昔から都市型社会が発達していたため、生き残り淘汰よりも性淘汰のほうに文化が進化したのであろう。

 さてこのように様々な文化を検証していくと面白い。一体なぜ、そのような文化になったのか。その文化のおかれた自然環境や周辺民族との関連性、そこに自然選択と性選択を絡めて考えるとその文化の様々な側面が見えてくるのではなかろうか。

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