» 比較文化のブログ記事

 今まで散々批判してきたミナンカバウ人の女系相続であるが、これには意外なメリットがある事に気が付いた。それは女が土地に縛られる事により糞ビッチ化しない事である。

 従来の形、即ち男系相続では田舎に男が余って女は皆都会に行ってしまうというデメリットがある。そして都会に行った女はすべからくビッチ化して戻って来る。また農村の嫁不足なんていうくだらない状況を作り出し男が出来損ないの中古糞フェミ我侭女としか結婚する選択肢が残っていないという糞オブ糞。これを防ぐために土地は女系相続とする。但し公共工事などを円滑に進めるため、矢張り土地は国家の所有物である。個人が持てるのは居住権、またはそれに順ずる物に限定される。だがそれを国家が強制的に取り上げる事はできない。それは違憲とする。

 また社会的地位は男が相続する。まるで昔のアラブである。以上内田貴洋久々の啓示。

 私はムスリムであるが、無神論者的立場から合理的に物事を解釈するのが好きである。はっきり言って正統派からすれば邪道で、破門モノだろう。

 1神教が人間とその他をはっきりと区別するのは、砂漠で生まれた宗教だからである。砂漠では農作物はあまり取れず、牧畜に頼るしかない。しかし動物に人間と同じ「格」をいちいち認めていたら殺すことなんてとてもできなくなる。だから「人間は動物とははっきり別である。家畜は人間のために作られた」と教えるわけである。神が一つなのも同様の理由である。唯一神以外を認めていたら、動物や大地に神が出来てしまい殺生が行えなくなり、ベジタリアンになっていくのはインド発の宗教を見ればわかるであろう。ヒンドゥー、ジャイナ、仏教全部ベジタリアンである。

 さて話を本題にして、今回は豚食の禁である。ユダヤとイスラムはこれを禁止している。これにはいろんな合理的見方ができる。一番有名な説は寄生虫説であろう。次にサルモネラ菌。どちらも非常に説得力がある。続いて首がないから説、エロホルモン説などイスラムにしか見られない合理的解釈もある。

 で、最近面白いことが発見された。実はなんと「キリスト教も豚食は禁止していた」、ということである。が、しかしこの戒律は広まることなく封印された。理由はすでに西欧の大部分が基本豚食であり、反発が必至だったからである。最初は守ろうとしていたのだが、広まっていくにつれスルーされていったとか。

 話を戻そう。キリスト教側の新発見でユダヤ、イスラムの豚食の禁にも新しい説が出てきた。
 それは
 「ユダヤやイスラムは遊牧民だったから、定住し農作物で豚を
 飼育する農耕民族に対抗して、
 「あいつらの食ってるのは汚らわしい動物」ってことにしとかないと
いけなかったんでしょ。豚を認めることは文化の根幹を揺るがすことに
なるから。」
というものである。なかなか面白い説なので検証してみたいと思う。まず豚って農作物でしか育たないものなのか?豚を放牧していた民族とかいないのだろうか。

 長らく日本人のふるまいに違和感を感じてきたが、最近その正体がわかった。それは臆病なくせに偉そうという事である。しかも臆病なほど偉そうになる。年齢が高くなるほどこれは加速する。また女は男より10倍臆病で10倍偉そうである。
 臆病なヤツは行動力がないのだから黙って度胸あるヤツの言う事聞いてればいいのに、何故か偉そうに指図したがる。所謂ブラック企業のブラック上司なんてのはまんまこれである。能力ねーんだから大人しくしてろよ。
 ちなみにこの法則はスラブ系民族やイラン人にも当てはまる。人見知りが激しく、すごい偉そうである。正反対な民族は、中国人、インド人、アラブ人である。

 東南アジアの主要な価値観で、ヨーロッパはもちろん東アジア及び南アジア、中東などとは相容れない価値観がある。それは「先生視点」である。私はこれがまるで小学校のクラスのような価値観であるなと思ってこう命名することにした。概要は以下の通りである。
・クラスでいじめがあったので、いじめられっこAはいじめっこ達の事を先生にチクった
・授業を受けている時に先生がミスをしたので、Aはミスを指摘した
・学校の設備が壊れていたのでAはそれを先生に伝えた
・授業で分からないことがあったのでAは先生にそれを質問した
 このような時、我々東アジア及び南アジア、中東、ヨーロッパではAは模範的な良い生徒であるとされる。しかし東南アジアではAは悪者である。
 それは、先生から見るとAは自分にとってメンドクサイ仕事を増やす「問題児」でしかないからだ。先生にとって、真の教育などは大事でなく、いかにして楽して金を得るかのみが大事であって、事を荒立てるAの行いはまさしく「悪い子」なのである。
 私が例のコタキナバル事件の後、多数のマレー系マレー人から意味不明なメッセージを貰ったのはこういった文化背景があるわけである。
「警察だって人間なんだから騒ぐな」
「こういうことはどこでだって起きている。なんでお前は騒ぐんだ」
「こんなことで騒ぐなんてお前はプロフェッショナルじゃない」
「俺も同じ場所で同じ被害にあった、お前だけだ騒いでいるのは」
 これらはすべて先生視点で行われているものである。彼らにとっては事なかれ主義が第一で自分が正義を押し殺して耐える事が美徳であり、私のように問題提起するのは言語道断の「問題児」なわけである。
 何故この先生視点が誕生したかというと、単純に教育者が教育をただの金儲け、ルーティンワーク、雇われ労働という認識しかしていないためであって、教育機関の教師の教育がそもそ間違っているからである。政府は教育者の教育に完全に失敗している。
 また、社会が未熟でこの小学生の価値観がそのまま大人の社会にも持ち込まれて、社会を構成する人間がガキのままなのも大きい。結局自分達で近代化社会を作り上げていないから、自浄作用や創造性といったものを知らずに育つ。だからそれに必要不可欠な「正邪判断」というものも学ばずに育つ。結果として人々は先生に媚びを売る小学生の価値観から何も発展しないまま大人になっている。社会に出たら「先生」は存在しないのだからこれは意味がない。
 タイ、ラオス、ミャンマー、カンボジア、マレーシアはこの先生視点が非常に強く、正義よりもこれが優先される。ベトナムとインドネシアはちょっとわからない。フィリピンは明らかに違う。また東アジアでも韓国はちょっと怪しい。北朝鮮はわからない。事情を知っている人のコメントを待つことにしよう。

 発展途上国にありがちなのが、出世して権力を握ったら、今まで自分達がやられていた恨みを晴らすが如く専横し、汚職を働きまくるというものである。公的機関は勿論、営利団体、会社内でもこのような事が見られる。
 こういう事を馬鹿にする日本人は多いが、では我々日本はどうなのであろうか。私は正直言って変わらないと思っている。単にそれが社会における役職というものではなく、所謂先輩後輩に置き換わっているだけである。
 先輩に対しては敬語を絶対使わなければならない、などと息巻いている糞に理由を聞くと、最終的には「自分達がそうしていたから、そうされていたから」という答えが返ってくる。数々の理不尽な行いに黙って従わせるのも問い詰めると同じ答えを返してくる。これと発展途上国の問題と一体何が違うというのか。
 もし発展途上国の役人や、会社内での役員の振る舞いなどに苦言を呈している日本人がいるならば、そいつはすぐに敬語だとかしきたりだとかそんなくだらないものを辞めるべきである。でなければそれはダブルスタンダードと呼ばれる。

 2014年7月現在、ロシアとアメリカが綱引きをやっているが、確実にロシアが負ける。何故ならソビエト時代の文化破壊により、ロシア人達はアメリカンカルチャーに侵略されてしまっているからだ。
 ホイールを変えた車に乗り、ギャングスタラップを聞き、ファーストフードを食べて、娼婦のように振る舞う女をチヤホヤする。
 いくらプーチンが頑張ろうとも大衆の目はアメリカにしか向いていない。アメリカの物資を禁輸することで確実に大衆の心は離れていってしまう。それはソビエトが自分の文化を捨てた時点で決まっていた敗北である。
 アメリカの文化は非常にわかりやすく、広告も上手である。であるから歴史を捨てた民族はすべからくアメリカンカルチャーに染まっていくのである。そしてその正体は、今まで前例のなかったフェミニストカルチャー。前例がないので皆アメリカを模倣するしかないのである。

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