日本を代表する習慣に敬語が上げられる。日本の敬語は外国の丁寧語、尊敬語とは違い、年齢とセットなのがミソである。相手が自分より年上か年下かで立ち位置が固定されると共に、敬語でその位置関係を常に確認させられる所にその特徴がある。大抵の自称愛国主義者に言わせると、これは日本の良い文化なのであるが果たしてそうであろうか。
老人を敬うという習慣は実は世界中にあって、敬語に相当するものも世界中に存在する。人間社会では長く生きているほうに権力が集まるのは当たり前であって、必然的に人間崇拝、権威主義が生まれる。これはどんな社会でも見られる構図である。事実ロスチャイルド家のマナーブックには「西欧社会と違いアフリカやアジアでは老人は敬われるものだから注意しなさい」という記述まである。
果たしてこれが良い事であるかと言うとそうではない。既得権益が出来上がって老害が発生するただの悪循環構造の形成にしか繋がらない。この構造悪をいち早く見抜いたのは砂漠発祥の一神教である。激動の中東発祥のこれらの宗教達は何よりも戦闘のための団結を最重要視する。変な上下関係など戦闘のための団結の障害でしかない。よってユダヤ、キリスト、イスラム共に「唯一神の名の下の平等」を説いて老人を敬う事や年上権威主義を封じ込めている。
つまり実は敬語や年上崇拝を封じている状況こそが人間によってストイックに社会が保たれている状況であり、年功序列なんてものはただの社会の堕落なのである。実際、日本から敬語や年上崇拝が消えれば日本人はもっと纏まる事が出来るだろう。団結を妨げているのは敬語及び年功序列主義である。後輩が先輩を追い抜く事なんてありえない、という社会である以上、実力者が上に立って指揮を執るなんてのも夢のまた夢である。また下の者が上の者を追い抜く事が許されていないから、下の者はいつまで経っても上の者より精進する事はなく、全体としても進歩しないのである。
但し、この理論を以ってしても説明できない土地がある。それはお隣の国中国である。なんと中国は敬語どころか軍隊用語すら「是」(Roger)くらいしか存在しない。それ以外は全くの実力主義なのである。儒教発祥の地であるが実際は道教の国であり、世界で最初の農民政権が誕生したのも中国である。易姓革命もしょっちゅうで、権威主義など全くない。むしろヨーロッパの貴族制やイスラムのカリフ制のほうがよっぽど権威主義的である。中国は変な国である
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