内田貴洋はゴミが嫌いである。よって内田貴洋王国では出来る限りゴミとなる物質を減らす努力をする。そのために製造物には厳しい法規制が課せられる。

 特に使い捨てに対しては非常に厳しく、認可はほぼ下りない。梱包も最低限度にする。なぜなら使い捨てを許容していくと、人々はどうしてもコストパフォーマンスと製造プロセスの簡略化ばかり追い求めるようになり、文化が衰退していくからだ。それは共産主義の国家を見ればよくわかる。人々は歴史ある陶器よりも使い捨てが効き衝撃に強いプラスチックの食器を追い求めた。製造側としても効率性ばかりを重視し、芸術性は皆無になり、簡略化が進んで画一したデザインのペラペラのプラスチックの安っぽい食器ばかりが食卓に並ぶようになった。ロシア、中国、ベトナム、北朝鮮どこの共産国も同じデザインの使い捨てのモノを使っているせいで、どの国もだいたい同じ景色である。歴代王朝の美しい文化は失われいった。文化を大事にする内田貴洋にとってこれはあってはならないことである。

 スーパーやコンビニのビニール袋と割り箸といった超超低コストかつ環境にやさしい使い捨て道具以外の使い捨て道具はほとんど禁止される。飲料は最低レベルがリターナブルびんで、他はだいたい店舗にマシーンを設置しての販売となる。お金を入れたら500ml出てくる、とかそういった類の機械である。こうすることによって水筒文化が発達する。プラスチック容器もほとんど許可されず、液体の洗剤や生活必需品なども店頭補充式販売となる。人々は生活のために、日々自らの入れ物をメンテナンスしなければならない。しかしこうすることによって文化が発達していく。ゴミを出さない、使い捨てをしない、ということで人々は丈夫で長持ちする製品を追い求めていくようになる。よって内田貴洋王国ではすべてのモノに歴史が刻み込まれていくようになるのだが、このへんの詳しいシステムについては別の機会に語ることにしよう。

 また、自然に還元される素材を使うということも法律で定められる。ある特定の強度が求められるものは仕方がないが、それ以外の生分解性のない素材で作られるものは全部規制される。てめえのケツはてめえで拭け、ということである。しかし内田貴洋は巷によくいるエコバカではない。エコを追求することで孵って環境によくない、という現象を引き起こすようなことはしない。

 内田貴洋は作って売ってそれでおしまい。後は一切責任をとらない、というユダヤ銀行システムのような反社会性のある姿勢の企業は徹底的に弾圧するだけである。無責任は必ず誰かが後始末をすることになる。資本主義経済の貧困スパイラルと同じである。積もりに積もったゴミを始末するために、ゴミ始末の施設と人件費が投入され、そのための資金を募り、さらにその資金を募るための社会システムを作り上げ、この一連の作業のためにまたゴミが生産され・・・しかしこれらの活動を行うのは最初にゴミを出した人間ではない。このような不公平を内田貴洋は許さない。

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