» 2017 » 12月のブログ記事

 内田貴洋王国ではクソフェミババアが怒り狂うような制度を設ける。それは男女共に16-22歳の間に結婚し子供を産んだ場合は減税するというものだ。これにはいくつかの理由がある。

 まず最初に幸福とはそれが最大限享受できる時に味わっておかないと人生における絶対的幸福度が下がるという価値観に基づいている。例えば貴殿がとてつもなく空腹だったとする。この時に美味い物を食べた時の幸福度を100としよう。次に満腹の状態で美味い物を食べるとする。この時の幸福度は空腹時に比べて絶対的に低い。よくて10、悪くてマイナスまでありうる。

 つまり思春期で異性に飢えている時に性交を行うほうが年を取ってから性交を行うよりも圧倒的に幸福度が高いという理屈である。また特に男はこの時期性欲マックスなので多少のブスだろうと身体が醜かろうとあまり気にはしないし、女のほうもまだまだ純粋だから身体共に得られる満足度が高い。何より相互に若い肉体を堪能できるという点も大きいだろう。

 次に情熱の問題がある。22あたりを越えると異性に本気になれる事はまず少ない。つまり冷めてしまうのだ。一度冷めてしまうと結婚出産なんていう大事をこなすのはかなりの気合が必要になる。その点16-22ならば勢いでそれらの問題を吹っ飛ばせる。事実晩婚ほど子供の数は少ない。早々に結婚させて勢いでバンバン子作りさせるのが少子化への一番の対策である。

 続いて体力の問題がある。出産適齢期は言わずもがな子育てに使う体力は思ったより多く現代日本または先進諸国の例を見ていると三十台で第一子を授かったりしているがやっぱり体力がないので第二子、第三子を育てるような気にはならないようである。だから早いうちにバンバン産ませる。

 最後にこれはイスラム国家ならではの問題だが、思春期に異性と隔離ばかりしていると同性愛者が増えてしまうという欠点がある。同性愛者の存在は少子化の一番のガンであり、快楽主義者の肯定と性病の蔓延をもたらすものである。一度同性愛者になったら戻るのは困難であるため、性に目覚めたと同時に結婚させてやりまくり状態に放り込むのが良い。

 尚この人生モデルを選択した場合15歳くらいまで教育を受けてその後結婚出産育児休憩を取り、22歳あたりで学業に復帰し26歳あたりから仕事をし始めるというパターンになる。仕事を始めるのが遅すぎる!という声があがりそうだが、それは企業側から見て都合の良い年齢なだけであって遅くはない。むしろ若い頃に育児を通して社会構造を見れるほうが大事である。実際日本の学生は社会と隔離されすぎていて20歳くらいでも驚くほどガキである。この人生モデルを選択した場合厳しい現実を先に知るので労働と休暇のバランスに敏感になるし、OJTなどに対して真面目に学習するようになる。日本の新卒のように不真面目に働いたり、馬鹿みたいに会社人間になることもない。

 問題は育児費用誰が出すのというところであるがこれはその結婚した当事者の親が出す。つまり子供達の金銭的面倒は祖父祖母が見て生活の面倒は当事者である親が見るということである。核家族の洗脳にあっている日本人もしくは先進諸国の人間はアレルギーを起こすだろうがそもそもどんなにパーフェクトな夫婦であっても子供を全く他者の手を借りずに育てるなんてことは不可能である。それに独立している気になっているが殆どの夫婦は妻の実家の傍にアパートを借りたりして住んでおり結局祖父祖母の世話になっている。本質を見ていない愚か者共である。実家を増設すれば良いだけなのにそれには抵抗があるらしい。わざわざ手間と金をかけて、ただの馬鹿である。

 内田貴洋王国では公共事業を行う際にその恩恵を受けるであろう地方自治体に同意を求める。例えば道路を作るならそれが通過する市すべてに同意を求める。各地方自治体は中央と同じく議会を持っている。この議会は中央と同じシステムで議員は匿名。そしてインターネットで討論を行いその様子は公開される。

 意見の採決は中央と同じく全議員肯定でなければ通らない。意見は予算案とセットになっており、どの予算でどれくらいの規模になるのかもここで決定される。次に業者の選定でありこれもオンラインで入札される。これは談合を防ぐためである。
 
 公共事業の施行が決定するとそこではじめてその地方自治体は住民から税を取る。つまり最初に予算を決めておいてそこから公共事業を割り振るのではなく、決めてから税額がのしかかってくるシステムである。これは日本の税制を反面教師としている。最初から予算を組んでしまうと公務員や工事関係者はいかにしてのんべんだらりと仕事を引き伸ばすか、いかにして必要のない公共事業で予算を確保するかしか頭になくなってしまうからである。その結果が年末のわけのわからないマンホール工事や道路の敷き直し、官僚が任期を目一杯使った工期の組み方などである。

 ちなみに最初に述べてあるように住民自体に賛否を決める権利はない。民衆に権力を与えると衆愚政治になるからだ。以上内田貴洋の未来の展望。

 内田貴洋王国は死刑制度反対である。これまでこのブログを読んできた諸兄には意外に思う人が多々いるかもしれない。散々過激な事を言っておいて人権家気取りかよ、と。

 だが俺王国が死刑制度に反対なのは冤罪防止のためである。古来より施政者側は都合の悪い事実の隠蔽のために冤罪を着せ人々を殺してきた。最近の例で有名なのはソビエト連邦のスターリンの粛清であろう。また実際この私自身が散々冤罪で嫌な思いをしてきたというのも決定的な理由だ。死人に口無しとは本当に良く言ったもので冤罪で殺されてしまえば歴史はいくらでも修正できてしまう。

 第二に死ぬ程度で罪を償おうなんて甘いという考えがある。例えば人を殺したヤツが居るとする。こいつを死刑にして殺す。結果として残ったのは二人の死体だけであり何の生産性もない。誰も得しないのだ。これはLOSE-LOSEの関係である。施政者も含めてLOSE-LOSE-LOSEである。これでは意味がない。

 死刑の代わりに賠償をするのが俺王国の刑罰となる。具体的には人体実験に使われる代わりに報酬が被害者または遺族の元へ行くだとか、永遠と強制労働で死ぬ事も許されないだとかそういう類である。勿論ハンムラビ法典から脈々と受け継がれているシャリーアの中にある復讐法を取っても良い。自分で殺すなら死刑も認められる。以上内田貴洋の王国教示。

 コミュ障の根源は自分が偉いと思っている所にある。人に話しかけたりする時は自分が下手に出なければならないものだが自分が偉いと思っている人間はそれが出来ない。また会話の中で立場を弁えずに浮いた発言をするのも自分が偉いと思っているのが原因である。
 実力さえあればコミュニケーション能力はいらないと思っている人も多いだろうがそれにも限度がある。自分が偉いと思っている人と一緒に仕事や研究をしたがるヤツはいない。それは実際の行動に出るからだ。子供の世話をしたがるヤツはそうそういない。結果として本来の実力は発揮できない。
 ちなみにこのコミュ障という言葉、どうしても無口な人間を想像しがちだが実はそのタイプだけではない。例えば自分が偉いと思って調子こいていて実は友達ゼロのヤツとかもコミュ障である。具体的には若くして自分が美人とか思っている女全員コミュ障である。また自分からしか話が出来なくて人の話が聞けない老害も全員コミュ障である。
 尚日本の会社が休日とかもやたらと社員同士でツルませたがるのは上に行くほどコミュ障だからである。彼等はその性質ゆえに友達がいない。そこで会社の上下関係を利用して無理矢理人間関係を構築しようとする。ウゼェ・・・コミュ障が・・・

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