宗教とは実践面に於いて人間の生き方のマニュアルになるものである。日本はそれがないから、皆生き方のマニュアルをメディアに求めた。私の世代だと中高の時にファッション誌などを参考にしていた人が多かったのではなかろうか。いわばファッション誌が聖典だったわけである。
しかしこの内容がまた滅茶苦茶で、とんでもないデタラメだらけ。特に女性誌はひどい。
・季節事に毎年服を買うのが当たり前だとして搾取(そんなん日本人だけだ)
・ゆるふわ、モテメイク云々(どう考えても化粧品会社とのタイアップ。っていうか女は化粧してるほうがモテないぞ☆)
・何でも恋愛に絡めて売ろうとする、そのほうが売れるから
・売春推奨
・乱交推奨
つまりこの世代、今の40から30くらいまでの女はメディアのサンドバッグ状態だったわけである。盲目的にメディアを信じて聖典として生きてきたら、世の中の需要とは正反対になってしまい、金はないスキルはない独身・・・つまり成れの果てである。だがそこに同情の余地はない。自分で選択したんだから。
こういった一見自由に見える生き方は共産主義と資本主義のあり方に似ている。資本主義は実は1%の人しか自由になれず、99%はただの奴隷になる。だが人間は「自分で自分の人生を選んでいる感」を求めて資本主義を選択したがる。対して共産主義は生き方は選べないがそこまで奴隷度が高いわけではない。
生き方も同じで、親とか周りから決められた生き方のほうが最終的な幸福度は高い。世襲、お見合い結婚などがいい例である。しかし人は「自分で自分の人生を選んでる感」を求めて自由選択を選ぶ。しかし自由選択で幸福になれるのは10%以下であろう。
» 2017 » 2月のブログ記事
私がよく男女論を語るときに、「コンドームつけてればセーフ」みたいな的外れな反論をしてくる馬鹿がいるが、そういう人は親子でファックしていてもコンドームつけていればセーフなのかな?
今の世の中は皆がタイタニック号のような底に穴の開いた大きな船に乗っているようなものだ。補修はもう不可能になっている。
ところが人々は何をするでもなく、ただひたすらに行動するのをめんどくさがっている。現実逃避をして遊びに耽っているいるのも大勢いる。
行動しなきゃ死ぬ、とわかっているのにウダウダと理由を付けて何もしない。船が浸水して身体まで水に浸かっても何もしない。やがて密室と化した船内では呼吸できる水面がわずかになる。人々はそれを奪い合って、他者の脚を引っ張って殺し合いをする。だが結局船は沈む。水面と天井の隙間が無くなって、ついに呼吸できなくなった時に唇を天井につけて、「畜生!」と叫ぶ。だがそれは誰にも聞こえない。そしてそのまま死ぬ。こういう人達は自分で何かを変えようと動く事が死ぬよりも嫌いなのだ。
・甘やかされて育った人間はとにかく人に否定的な意見を言われるのを嫌う。なので俺のようにご機嫌伺いをしないような人間には無意味な反論をしたり、突然理不尽に切れたりする。他人は常に自分の機嫌を伺っている存在でなければ気に入らないのだ。こういうのは女にすごく多い。特にヨーロッパ系。
・甘やかされて育った人間は他人の好意のありがたみがわからない。何故ならしてもらって当たり前だと幼少時から考えてしまっているからだ。
・甘やかされて育った人間は常に関係が不平等じゃないと満足しない。自分のほうが損しているな、と感じたら人にも損させようと思う。つまり意地が悪い。
・甘やかされて育った人間は不平等な事を平気で口にする。それがおかしいとか恥ずかしいとか思わない。例えば一緒に食事に行って「俺500円払うから君1500円払って」とか平気で言う。また釣り合いの取れていない貸し借りを平気でする。
・甘やかされて育った人間は非常に無謀な希望的観測をする。誰がどう見ても客観的にはそんなはずないのだが、何故か現実を見ようとしない。また他者がどう考えているかに対しても非常に希望的に考える。他者が自分との付き合いで我慢しているかとか、本当は嫌がっているとか、そういう可能性については全く考えない。
尚、甘やかされて育ったかどうかは家庭環境だとかテーブルマナーである程度推し量る事が出来る。基本的にシングルマザー家庭は子供をクソ甘やかす。また食い方が汚い人も母親から注意を受けないで育ったというパターンが多い。その母親からして食い方が汚い場合はわからないが・・・