» 2013 » 10月 » 20のブログ記事

よく言われる両者の差であるが、最も顕著に現れるのは扱う情報の信憑性である。

文系の人間は与えられた材料をまず疑うところから始める。
理系の人間は与えられた材料で何が出来るかを考える。

これは、
文系=理想主義で、自分の理想通りの結論を導き出そうとするから材料を選ぶ。
理系=現実主義で、自分の出来るだけの結論を導き出そうとするから材料はどうでも良い

という違いとも言い換えられる。

なので工程として理想なのは、文系→理系 である。1stステップは絶対に文系にしなければならない。理系は与えられたものが滅茶苦茶だろうが嘘だろうが、関係なく処理してしまうからである。

理系→文系が悲惨な事になるのはホンダの製品を見ていればわかるだろう・・・

ファーストステップの詰めが甘い人はだいたい理系脳だと思っていい。そういう人は文系脳の人がちゃんとガードしていないと失敗しがちである。

 先日とある漫画を読んでいて、芸術家の才能について考えた。私は才能の正体は学習能力であると思う。より深く洞察し、その感性の表現方法を筋道立てて考えることが出来、それを実戦する方法を模索し実行する。天才というのはこの一連の動きが通常の人間よりも早いのである。

 事実、才能がある人間というのは何をやらせてもそこそこうまい。反対に愚鈍な人間は何をやらせても愚鈍である。これは学習能力こそが才能であるという私の説を証明していると思う。

 また、馬鹿みたいに時間をかければ誰でも良い作品は作れるものである。しかし天才というのは作品を作り上げるスピードが速いのである。参照、参考、推敲、実行、再試行、すべての動作が速い。例えば芸術とはちょっとズレるかもしれないが、料理が最も良い例である。才能のある料理人は手際が良く、作品を作り上げると同時に厨房の掃除も終わっていたりするのである。

 この例でいくと、この料理人は調理と厨房管理という二つの考えの軸を同時進行でこなしている。つまり天才とは頭の使い方が良いわけであって、絶対的な○○の才能、というのはないのである。天才はどんな方向にも才能を発揮するのである。ダヴィンチなどその典型例である。

 ところで、その漫画は音楽の才能の話だったのだが、演奏を伴うものは才能以外に努力が大事であり、努力でカバーできるものが大きい。私が思うに最も才能のみでやってる連中はラッパーである。そして、私がラッパーの中ですべての方向にバランスよく才能を発揮しているのはベタであるが2PACであったと思う。

 2PACといえば、ウォーレンGとその兄であるドクタードレー、スヌープドッグやその従兄弟のネイトドッグ、ダズディリンジャーなどのいわゆるG-FUNKの立役者であるが、2PACだけ頭一つ抜けていたと思う。

 ラップはブレイクビーツであり、サンプリングした音を組み合わせて楽曲を作り、それに韻を踏んだ歌をリズミカルに乗せていく。もちろんぶっつけ本番のアドリブ全快である。こういうところはまさに才能だけの世界であると言える。

 2PACの楽曲の中で私が一番好きなのはAll About You という曲である。この曲、最初はスヌープドッグと競演したのだがあまりにもスヌープの調子が悪く、ネイトドッグでやり直したという経緯がある。つまりこの時点でスヌープドッグはデスロウ面子の中でもちょっと劣るということが判明しているわけで・・・そういえばNOLIMITS移籍の第一弾のアルバムもひどいもんであった。

スヌープドッグバージョン

ネイトドッグバージョン(正規バージョン)

 笑い声を詰めて一拍に乗せてしまうあたりはさすがである。通常はこんなこと思いつかない。ちなみに私が普段トランスばかり聞いているから、トランスしか聞かないと思っている人が多いが、私はもともとはラップが好きだったのである。

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