» 2011 » 2月のブログ記事

 

 我々の多くが結婚に適する精神的成長を成し遂げるのは、たいてい25歳を過ぎてからであり、経済的に成熟するのはもっと後である。早くて30代、遅い人で50代になってしまう。

 だがしかし、我々の肉体が生殖に最も適しているのは10代後半から20代前半である。異性に対する感受性が最も豊かなこの時期でないと真の性愛は楽しめない。(内田貴洋は結婚してから恋愛をしろ派である。誤解なきよう。)そのため、ほとんどの人は精神的、経済的成熟を待たずして情に流され、勢いでパートナーを持ってしまう。これが問題である。精神的成熟を待たずしてつがいになった雌雄はその後視野が広がるにつれ、現在のパートナーに不満を持つようになる。経済的成熟を待たずしてつがいになった雌雄はその後、経済的負担が原因で離縁してしまう。

 また、反対に精神的成熟、経済的成熟を待ってからパートナーを見つけた場合、すでに肉体はかなりの老化を迎えており、精神的、そして肉体的に満足いかないまま妥協という事になってしまう。適齢期の女がまともに結婚できる相手を探したら、オッサンしかいなくてガッカリするなんてのは外国ではよく聞く話である。

 精神的成熟、経済的成熟、肉体的成熟をすべて同調させることが出来ればこのような問題は無くなる。また、すべてが万全かつ脳が異性に対してフレッシュならば、心置きなくパートナーと恋愛の最大幸福値を楽しめるというものである。そこでこの内田貴洋が提唱するのは二つの案件である。

1 精神的成熟、経済的成熟を早める。

この試みのひとつが、俺王国に出てくるクラス制である。年齢に合わせて教育するのではなく、実力に合わせて教育する。ある一定以上の知識、学力がなければ結婚することは出来ない。反対に一定以上の知識、学力があれば例え3歳でも結婚することが出来る。

2 肉体的成長を遅らせる

これは遺伝子改造、またはGH分泌ホルモンの抑制という形で行うことになる。但し、この試みはどこまで安全か未知の領域であるので、研究が必要である。

 もし仮に、肉体的成長を遅らせることが可能ならば、ある一定のクラスになるまで、成長はおあずけという事になる。このほうが国家が円滑に廻るとこの内田貴洋は考えている。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋からの素晴らしき提案。

 今世界中で最も話されている言語は英語である。これは何も大英帝国およびアメリカ合衆国が世界を制覇したから、ではない。英語の文献の持つ知識量が、その他の言語より遥かに多いから、世界中の人は英語を学ぶのである。現に我々とて日常会話で英単語を使いまくっている。それと共通する語彙を探すよりも、その単語をそのまま使ってしまったほうが速いからである。これは東アフリカのスワヒリ語がアラブ語の語彙を取り入れて完成したのとよく似ている。

 また、各個人の母国語がバラバラな集団がひとつあったとする。そうなると、そこで話される言語はその中で最も知識量のある人間の言語になる。それもそのはず、困った時みんなその知識人に相談するからだ。また、その知識人が持つ語彙を他言語に変換できる者がいないので、勝手にその単語がその知識人の持つ言語に固定されていく。例えばその知識人が電源、という単語を使ったとする。しかしその他の人々は電気供給のシステムを知らなかったとする。そうなると「電源」は「電源」以外の単語で表現することが出来なくなる。

 であるからして、研究開発を怠って知識の蓄積が少ない文化の言語は次第に滅んでいくのである。現代で豊富な知識量のある言語は、英語、フランス語、ドイツ語、日本語、オランダ語、イタリア語である。ウィキペディアを見てみればその情報量がよくわかるであろう。

 反対に滅びつつある言語は、アラビア語、中国語、スペイン語、ロシア語などである。

 

・     アングロサクソン

こいつらはもともと海賊である。自由気ままに行きたい所に行って略奪する、というのが彼らの歴史である。であるからして、好奇心旺盛で無鉄砲である。アングロサクソンは何よりも冒険を好む。無茶な所に行く、というのが第一目標であり、そこで何をしたのかとか、楽しめたかなんてどうだっていいのである。事実短期滞在ですぐにどっかに行ってしまう。リゾート地に来て本なんて読んでいるのもこいつらである。何をしたかなんてどうだっていいからだ。

・     フレンチ

 彼らは定住農耕牧畜民族である。であるからなるべく土地を知ろうとする。貪欲にその地の文化、人間、権力構造を吸収しようとする。フランス自体が帝国としての長い歴史を持っているので、他者の文化を文明としてまるごと呑み込んでしまおうとする。長期滞在で現地人の服を着て現地食ばかり食べている白人がいたらまずこいつらだと思っていい。その証拠にあちこちでブリティッシュブレックファスト、アメリカンブレックファストを見かけるが、フレンチブレックファストなんて見たことがない。

・     ジャーマン

武装開拓農民の末裔である。日本の武士とその成り立ちがよく似ている。習慣が似ているのも当然なわけである。彼らはいかにしてその地でハードな事に挑戦したかを競い合う。その土地の文化や人間にあまり興味を持っていない。あくまで自分、自分である。現地人と触れ合おうなどとは全然考えていない。

・     ロシア

 ロシア人はモンゴルに蹂躙された歴史を持つ白人種である。相当数がモンゴル人にレイプもしくは奴隷として扱われ、モンゴルの血がかなり入っている。モンゴル人はチンギスハーンの名言に代表されるように、残虐を好む民族である。この遺伝子がロシア人には組み込まれている。よって集団で暴力行為を働くのが大好きである。また、極寒の地域に住んでいた民族であるから、意外と慎重派である。ローリスクで無敵状態、というのが好きなのである。無鉄砲な行動はロシアでは死を意味するからだ。彼らはまずマフィアを派遣し、その土地の裏社会を牛耳る。その後、コネを伝って集団で遊びに来る。この辺は少し中華の民と似ている。やはり国土がデカいと田舎っぺになるということなのだろう。コネがない土地には絶対行かない。行くのは売春婦だけである。売春しながら旅行しているのである。女だけで肌の露出が多い集団はまずロシア人である。

・     アラブ

 アラブ人は武装隊商で発展してきた民族である。彼らは商売のできない場所には行かない。彼らは土地を見て、まず儲かるかどうかを計算する。儲かるとわかったら武装した先発部隊を派遣し、その土地で一定の勢力と交易ルートを作り上げる。こうしてその土地でアラブ人街を作ったら、本土の連中が往来するようになる。彼らの文化(スンニ)は非常に頑固なため、他者の文化を真似しようだとか、吸収しようだとかは微塵も思わない。見聞という事はまずやらない。あくまで利を求める。買い物ばかりしているのもそのためである。

・     中華

中華の民も基本的には商業で繁栄してきた民族である。アラブ人と同じく、儲かるか儲からないかを見て判断する。儲かるとわかったら、金を局所集中させて現地人を買収し、中華街を作り上げる。更に中華系だけでカルテルを固め、その土地の利権を牛耳ってしまう。価格競争を始めて現地人達を潰していくというやり方もよく使う。一族の金を局所投資するという彼らの血縁主義あってのパワープレイである。中国人は金の力を他のどの民族よりも知っている。よって一旦金を握ると傍若無人な振る舞いをする。非常にドライで見栄っ張りなのも特徴である。個人の楽しみより、他者への顕示を優先する。看板と共に写真を撮りたがるのもそのためである。他人に見せる意味のない行動は絶対に取らない。

・     日本人

 日本人は海洋山岳民族である。どの民族よりも自然をよく知っている。自然を研究し、自然と遊ぶ事に関して日本人の右に出る者はいない。自然を極めるのが日本人なのである。日本人はアングロサクソンやフレンチの真似をしたバックパック旅行なんて本来向いてないのである。そもそも彼らほどの汚物耐性もない。日本人は1週間風呂なし、服もそのままなんて耐えられる人のほうが少ない。かといってアラブや中華のようにコミュニティを作る団結力もない。

 日本人が最も楽しめる旅行スタイルとしては、ホームステイ型であろう。生活そのものは他者に世話してもらい、自分はその地でやりたい事をやる、というものである。会社の海外出張などもこの形態の一種である。幸いにして我々は特に頑固な習慣もないし、他者に世話になることに抵抗が全くない。日本で作ったツールを持って行って、現地で自然を極めるのが日本人の至高であろう。

 

価格競争、業界にとって最も忌むべきものである。価格競争が始まるとまず落としやすい人件費からコストダウンを図る。企業間、商店間はまず人的体力勝負を強いられる。疲弊した人材はいつかはパンクする。

 次に行われるのはクオリティーを低下させることによるコストダウンである。工程を省いたり、用いる材料の量や質を落とすことによって値段を落とす。結果として徐々に商材の価値が落ちていく。

 最終的には取り込み詐欺、計画倒産を行う企業、業者が出てくる。過酷な価格競争で失った利潤を短期的に回収し、もうその業界からは撤退してしまおうという戦略である。

 価格競争は消費者にとって、短期的利益をもたらすが、長期的に見ると消費者も損をするのである。商材やサービスの質が低下し、信頼性も低くなる。良いことなどひとつもないのだ。

 だがいつの時代もダンピング業者というのはいるもので、必ず価格競争を開始する馬鹿がいる。これは売春や泥棒と同じで人間社会に必ず現れる人災の一つである。

 大手家電量販店などで、他店よりも高ければ申しつけ下さい、などと言ってチラシの表示価格競争を盛んにやっているが、あれは実に愚かな競争である。このような事を始めたのは新宿発のカメラ業者と、茨城発の郊外型大型店舗である。

 昔からこの価格競争の愚かさを知っていた秋葉の家電屋などは値切り文化を採用し、表だって競争することを避けることで、自分達の利益を守ってきた。値切り文化とは価格競争からうまく逃げるためのツールだったのである。消費者と業者、お互いの利益を守るための必須手段だったのである。

 しかし愚かな一部の業者と、目先の利益に飛びつく愚かな消費者によってこの値切り文化は失われ、価格競争が表面化してしまった。今やいろんな業界でこの価格競争が起きている。そしてそれは世界的なムーブメントとなってしまっている。いわゆる資本主義の終焉の要因のひとつである。

イスラムは国際宗教になりうるか。答えはノーである。

 現在イスラムの主流になっているのはスンニ派であり、スンニとは、慣習という意味である。預言者ムハンマドは後世に記録を残さなかったため、さまざまな派閥が生まれた。その中で、クルァーンと照らし合わせて不明な事項を判断する際に伝統的な慣習に従うとしたのがスンニである。

 しかし、ここで注意するべきことは、これはあくまで「アラブ人の」慣習であるということだ。よってスンニとはアラブ人至上主義であり、民族主義の一面を備えていることになる。スンニ派になれ、ということはアラブ人になれ、ということと同義なのである。

 例えばイランで栄えているシーアの12イマーム派と、厳格なスンニのワッハーブ派では礼拝の時間が異なる。スンニでは一日5回の礼拝が義務となっているが、第一回目と第四回目の礼拝はそれぞれ、日の出前、日没の間となっている。これはアラビア半島及び同じ緯度付近にある地域では問題ないが、白夜のある北欧ではどうなるのだろうか。日の出も日没もない。白夜までいかなくても、ある一定以上の緯度になると、夏と冬の日照時間がかなり異なる。これでは活動時間に大きなズレを生じてしまうことになる。

 このような無理な要求をされても、現実的に不可能なのである。その証拠として、イスラムが普及しているのは熱帯、亜熱帯の日照時間に変化の少ない地域に限られている。もともとイスラムは生活に根差した現実的な宗教のはずである。だが、スンニが盲目的にスンニこそ正統であると主張し続ける限り、真の共同体であるウンマの形成には至らない。

 事実、スンニの人にシーアやイバードの話をすると、感情的に否定する。そして最後には「スンニが一番正しい」と言うのである。そこで根拠を求めても、具体的な回答は出てこない。このような感情的な否定は、裏を返せば潜在的にシーアを恐れているということである。

 テロ組織は圧倒的にスンニが多い。シーアで目立つのはヒズボラくらいであるが、それもシオニストに反抗しているだけであって、スンニに反抗しているわけではない。一方スンニはシーアのモスクを破壊するテロをほぼ毎日のように行っている。ここにプアホワイトが作り出したKKKやモルモンと同じレイシズムを感じ取ることが出来る。

 スンニのシーア警戒は相当なもので、アラブ諸国はこぞってイランを無視している。これは12イマーム派の輸出を防ぐためである。12イマーム派を認めてしまうと、アラブ人の優位性が揺らぐからである。預言者の志に従うなら、このようなアラブ至上主義はイスラムの精神とは大きく反することになるのである。

 ではシーア派ならば、世界宗教たりうるかというと、これも答えはノーである。シーア派はアリーの血統しか認めていないため、事実上非常に政治色が強くなってしまう。また、イマームにクルァーンの解釈を変える権限が集中しているため、一歩間違えただけでたちまちカルト化する。よってシーアも適切ではない。

 期待できるのはイバード派と、残っているハワーリジュ各派である。どちらにせよ、新たな改革者が現れない限りイスラムが世界宗教になることはない。

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