進化論、皆さんご存知だろうか。いわゆるエボリューションである。進化論には二つの意味がある。進化が起こっているという意味と、もうひとつは進化のメカニズムを説明するという意味だ。この後者において、現在進化論には様々な説があるが、最も有力なのは自然選択説である。これは即ち、ひとつの種の中である形質を持つグループと持たないグループが出来、環境の変化によってその形質を持つグループが生き残りやすく、その形質を持たないグループが生き残り難くなった時、その形質を持つグループが徐々に生殖に有利になり、その形質を持たないグループは徐々に淘汰されていく、というものである。
この例を説明するのにはキリンなどがわかりやすい。少しでも長い首を持つほうが生存率が高くなり、当然生存率が高い固体のほうが子孫を残しやすい。よってキリンは全体的に首が長く進化した、という事である。
これとは別に性選択説というものがある。こちらは生存率とは別に、生殖競争において有利なほうが子孫を残せたので、その種は徐々に生殖競争に有利な形質を持った個体に進化の方向がシフトした、というものである。カブトムシの不必要にゴツい角や孔雀の明らかに無駄で生存に不利な羽などを見ていただくとわかりやすい。要するに同性間の戦いや性的魅力が高いほうが子孫を残せたので、生存に不利な形質であろうとその種はその方向に進化した、という事である。この性淘汰説は自然淘汰説とは別のベクトルであるが、広義の自然淘汰説の中に含まれている。
人間も自然選択説や性選択説とは無縁ではない。例えば我々日本人は新モンゴロイドである。我々新モンゴロイドは極寒のシベリアで進化した種類である。極寒のシベリアでは吐息が凍るため、鼻腔が小さく凍りにくい形質を持つ個体が生き残った。上顎突出も鼻腔を縮めるためで、目が小さいのも凍結に対して有利に働くため。胴長短足なのは体の表面積を小さくするためである。体の表面積が小さいほうが体温が逃げず、極寒の土地でも生きながらえられたのである。そしてこれはこの内田貴洋の説なのだが、胴長で重心が低いのは我々新モンゴロイド(アルタイ語族)が遊牧騎馬民族だったからであろう。胴長で重心が低いほうが馬上での戦いには有利である。意外かもしれないが、西欧の白人も胴長短足である。但し彼らの大腿は細い。
それとは全く反対なのは東アフリカのナイロティック系黒人種である。手足が長く、胴が短い。下顎突出で目が大きい。これは我々とは全く逆で、熱すぎる土地でいかにして熱を放出するかという点に特化した形質である。我々とは逆にこの地域の人種は体の表面積を大きくして、クーラー機能を充実させたほうが生存に有利だったのである。目が大きいのはより多くの情報を入手できるためなのか、あるいは性淘汰かはわからない。同じく下顎突出の原因も知らないが、気になる人は調べてみてくれ。
さて、ここからが本番である。この内田貴洋は性懲りもなくまた中国に行ってきたのだが、そこでひとつの仮説を思いついた。
それは、文化も自然選択、または性選択によって進化する、というものである。
例えば日本人やドイツ人といえば、その文化の性質はとにかく几帳面でモノを作らせたら世界一である。これはなぜそのような文化になったのかというと、日本やドイツでは優れたモノを作れた人間が生き残れた、或いは同性間競争で有利になったから、つまり良いものを作れた奴がモテたから、である。反対に中国人は何を作らせても三流である。しかし、見た目だけはキッチリ作る。実際使ってみるとてんで駄目なわけだが、見た目だけはキッチリしている。つまり中華とは、ひたすら見た目だけを重視している文化なのである。見た目良ければすべて良し。とてつもない美人が沢山いて、3日に1回髪型をセットするほど見た目には気を使うが、この女達がケツをロクに拭かないなんてのはザラである。表だけはピカピカ、中はボロボロ。これは建物なんかでもそうである。とにかく見栄っ張りのハリボテ文化なのである。服屋と美容院が異常に多いのもこれで納得がいく。そういえば中国ではあまりひどいブサイクは見ない。中国は昔から都市型社会が発達していたため、生き残り淘汰よりも性淘汰のほうに文化が進化したのであろう。
さてこのように様々な文化を検証していくと面白い。一体なぜ、そのような文化になったのか。その文化のおかれた自然環境や周辺民族との関連性、そこに自然選択と性選択を絡めて考えるとその文化の様々な側面が見えてくるのではなかろうか。