» 2010 » 1月のブログ記事

 フェミニズムという思想によって男女の性差を無くそうとし、男女間に深い溝が出来ていることはこれまで散々語った。ではこのままジェンダーフリーが加速していくとどうなるのか。世界で最も神に近い男、内田貴洋がこのテーマに挑む!

 まずジェンダーフリーを推奨していくと、旧来の性差に基づいた社会が一番である、と主張するグループ、男社会が至高であると主張するグループ、女社会が至高であると主張するグループ、そしてジェンダーフリーをそのまま推進するグループに分かれる。これらがそれぞれ分裂独立し、世界中の国家というものが今よりももっと複雑な形をとるようになる。さて、ここまでは様々な方が予想した範囲である。現に某漫画などでもこの様子は描かれている。

 内田貴洋はここから更に駒を進める。このそれぞれの世界がどのように成長していくかを啓示する。

★旧来の性差に基づいた社会が一番である、と主張するグループ

 このグループはイスラームである。社会的生産性と、全体的幸福度はこのグループが4グループ中トップになる。1300年もこの社会構造を保っているのだから、今後もこれが揺らぐことはない。

★ジェンダーフリーをそのまま推進するグループ

 このグループはとにかく徹底して男女を意識させるものを排除しようとする。男には女性ホルモンが打たれ、女には男性ホルモンが打たれる。長髪は禁止、服装も統一される。個性はすべて奪い取られ、家庭を持つことは許されない。なぜなら家庭内での役割の差がそのまま性差に繋がるからだ。ありとあらゆる家庭内の機能が外部に委託され、複雑な分業システムが出来上がる。例えば女の子宮を子育てに使うことは許されず、すべて人工授精で人工胎盤で育てられる。子供が家庭に預けられることはなく、すべて公的機関で育てられる。もちろんそれを維持するのは税金なので膨大なコストがかかる。人々は個人で生活をし、生活の上の行動をほとんど外部社会に委ねる事になる。食事は外食、健康管理も外部、精神衛生も外部に見てもらう。現代社会で言うと共産主義圏の人々の精神状態がこれに最も近い。

★男社会が至高であると主張するグループ

 このグループは女に一切権限を与えない。女に文化すら与えない。女は言葉を発しなくても良いとする。つまり人権を与えないのだ。男のみで社会が運営され、女は生まれた時から人間牧場へと放り込まれる。DNA操作によって美女ばかりを生産する人間牧場が出来たりもする。男は金が余ったら適当に牧場に行って女を選んで買い、ペット感覚で家庭で飼う。適当に子供をこしらえて2年程度で子供が乳離れしたらその女は殺してしまう。子供が女児なら牧場へ売り、男児なら自分で育てる。女は正に産む機械としてのみ扱われる事になる。

 そういえばこのような社会は実在したのである。隣の国、中国がそうである。中国は歴史上炊事洗濯家事育児すべて男の仕事である。家庭内で仕事をさせないという事は、裏を返せば何の権力も与えないという事である。この内田貴洋が中国にいた時、周囲の日本人女は「中国の女は楽でいいなー」などとのたまっていたが、物事を深く考えればこのカラクリに気づくはずである。実際中国では、男の浮気率が半端なく、中国男は愛人を作る確立が世界一高い。女が金を稼げなくなれば用なしなので即離婚である。女は子供を産む機械で、夫婦別性なのも女は永遠にその父親の娘という意識から成り立っているものである。纏足という習慣にこの文化が集約されている。女は性愛玩動物扱いだったので何も出来なくても良かったのである。

★女社会が至高であると主張するグループ

 このグループは男には一切権限を与えない。女は気に入った男がいれば恋愛同棲して子供を作り、しばらくしたら飽きて別の男とまた恋愛に陥る。但しこのグループが上記のグループと違うのは、女は頭脳明晰な男の遺伝子が欲しいので言語や文化をきちんと男に教えるという点である。女は容姿の優れた男としか子作りをしないので、自然淘汰でこのグループの人間の美貌は凄まじいものになる。だがしかし、社会としては女がたとえ妊娠中であろうと社会的義務を負うので、生産性はかなり低下する。どんなにつらい時も男に頼ることは出来ず、むしろ反対に男の面倒を見なければならない。またこのグループは他のグループと比べると戦闘能力が著しく低い。

 古代ギリシャ時代の黒海沿岸にアマゾーンと呼ばれる部族があって、そこではこのような女権社会が構成されていたようだ。また、現代でも中国のどっかの少数民族の村は女権社会である。トラック諸島などのミクロネシアにも一部女権社会は残っている。しかしいずれも生産性がひどく悪いので、徐々に社会秩序が変わってしまっているようだ。

 以上内田貴洋の最も神に近い言葉。

 前回のエントリの続編である。前回フェミニズムを回避してきた文化圏は未だにドンパチ戦争を続けている国、共産主義圏、そしてイスラームである事を述べた。未だにドンパチ戦争を続けている国家は平和になればフェミニズムの危機に忽ち晒される。共産主義国家は単に女が男化しているだけで根本的な性差解決になっていない。実質離婚率はうなぎ登りで治安は悪化し続けている。つまり本当にアンチフェミニズムに成功しているのはイスラームだけなのだ。今回はこのイスラームについてアンチフェミニズムの立場から言及してみたい。

 ・預言者ムハンマド

 イスラームという宗教は西暦610年にメッカでムハンマドという偉大な男によって創立された。このムハンマドという人は物凄い苦労人である。父は生まれる前に死に、6歳で母も亡くなった。孤児となったムハンマドは自分の親族を頼り、時に後家の援助を受けながら商人として大成していく。25歳の時、彼はスポンサーの未亡人の一人、40歳のハディージャと結婚する。誤解を恐れずに書くならば、彼は要するにヒモだったのである。だがムハンマドはとても誠実な人間であった。相手が15歳も年上しかも前夫が二人という女としては致命的なマイナスを負っているにも関わらず、彼は精一杯ハディージゃを愛した。ムハンマドは彼女との間に2男4女をもうけるが、男子は2人とも成人せずに死んだ。

 そしてムハンマドはメッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想に耽る事となる。瞑想というよりは、この世の不条理に対する怒り、そしてどうすれば皆がよりよい生活を送る社会システムが作れるかを考えていたのである。彼は幼少の頃から一人身であり、寂しい思いをしたため家族愛にはとりわけ深い執着を見せた。彼の思想はそのほとんどが家庭の充足に帰結する。

 当時のメッカは様々な遊牧民の交易オアシス都市であり、メッカのカーバ神殿にはそれぞれ色んな民族が信仰するいろんな宗教の神様の像が奉られていた。それぞれの部族はジャーヒリーヤ精神と呼ばれる不服従の唯我独尊精神を持っており、そのためメッカの治安は世界史上類を見ない最悪なモノであった。暴力と嘘、癒着と腐敗、権力者による搾取、弱き者は護られず売春と強盗に身を投じ、憎しみの連鎖による報復合戦…カネと権力と売春の都市。男を見たら敵だと思い、女を見たら売春婦だと思え、という状況である。おやなんだかどこかで聞いたような社会である。そう、現代日本はこれに近い状況になりつつある。

 よくイスラム教は時代遅れであるとか、思想として遅れているという意見を耳にするが、実は現代社会に起こっているような精神的秩序の崩壊はムハンマドがとっくの昔に経験している事なのである。人間は生まれつき欲深く、放っておけば楽なほう楽な方に流れる。ロクに教育も施さずに人間を放置しておく人は拝金主義に走り、男は暴力、女は売春に走るという事は人類が始まってから何度も繰り返されてきた事実なのである。ユダヤ教、キリスト教発生時の社会も全く似たような状態であり、秩序が崩壊した社会に於いてモラルを求める人間達が宗教を作り出すという構図は古今東西共通なのである。

 これまでもこのアブラハムの宗教(一神教)には数多くの預言者がいたが、どの預言者も理想論を説くだけであった。例えばイエス・キリストは「汝の隣人を愛せ」とは言ったが、ただその理念を言うだけで実践するための教えは説かなかった。一方ムハンマドは商人でアラブ人である。アラブ人という民族は理念よりも目の前の現実をどう解決するかに重きを置く習性がある。イスラームはそんなアラブ人の商人が考え出した宗教理念である。これまでの一神教とは一線を画す、現実性と合理性をひたすらに追求したモノであった。ムハンマドは人の世に常にまとわりつくモラル低下の問題に真っ向から立ち向かい、そして合理的な解決方法を発明した先駆者なのである。実際メッカの人々は、メディナから帰還したムハンマド一行のモラルの素晴らしさに感激し、次々と改宗したのである。

 ・イスラームは男尊女卑か

 答えはノーである。ムハンマドが自身がヒモだったため、その教義は限りなく女に優しく配慮したものとなっている。女の保護と教育に関して、他の宗教の無責任っぷりとは大違いである。また最初の妻ハディージャが人格者だったためだろう、他の宗教のように女は下等などとは考えていない。実はユダヤ教もキリスト教もすさまじい男尊女卑で、聖書に女の名前はほとんど出てこない。ヒンドゥー教の最下層民は女児を生き埋めにするし、仏教も女を不浄として扱っている。おそらく教祖の傍にロクな女がいなかったせいであろう。

 例えばイスラームの女と言えば皆が思い浮かべるのはチャードルやブルカによって全身の露出を隠した服装だろう。フェミニズム諸国の感情的な女に限ってあれを女性差別だの抑圧だのと糾弾するがよく考えてみてほしい。まず根本としてムハンマドは女の性的魅力が男の性的魅力を大きく上回ると述べている。また男の性欲は女よりも抑えがたいものであるとも述べている。つまり性差を認めている。よって双方が空身の状態では男に性欲を抑えよといっても無理が生じ、性的魅力の高い女に男が殺到し、女自身の活動に制限がかかるばかりか、社会が女の容姿によって差別を計ることが頻繁に起こるようになるし、その結果女が外見を磨くことばかりに夢中になって中身を磨かなくなるので女は身を隠すべきである、としている。男は暴力を封じ、女が自己の性的魅力をさらけ出す事を封じることで真の男女平等が実現すると述べている。現代日本を省みるに、全く以ってムハンマドの言ってる事は正当であると言える。

 またイスラム社会では財産の相続権が女にある。親の社会的地位は男が引き継ぐが財産は女が引き継ぐのだ。それを加味した上で、性生活の不満を理由に女から離婚申し立てができるという。離婚に関しては結婚前から離婚時の財産分与に関して取り決めがあり、妻の経済的な保障があらかじめ為されている。更に不倫が死刑になる点などからイスラム教が「妻」という存在をいかに大事に扱っているかが判る。

 イスラームの根本は家族主義であり、男女共に立派な家庭を築くことが義務とされる。男はよき父であり、女はよき母であるべきことを自覚しなければならない。もちろんこれは未婚の時から堅く心の中に誓っておくべき事柄であり、将来の夫/妻に対して申し訳が立たない事態にならぬよう、自分の身の振り方を制限する。健全な家庭を築くために男女はその性差を理解するべきで、正しい男女の役割を果たさねば健全な家庭が形成されず、子孫が繁栄しなくなるという。子供にとって父親という存在より母親という存在のほうが大事なので、母親になるべき女のほうが制約が多いのは当然であるが、女が正しく身の振り方を制限できるように男が社会をきちんと構築管理すべきである、とムハンマドは述べる。アメリカや北欧、そして日本などの女が母であることを放棄した社会を見ていると、このムハンマドの教えに同意せざるを得ない。
 
 多くの宗教が理想論を述べるだけなのに対し、イスラームはどうすれば現実的に問題が解決できるかに取り組んだ。結果としてイスラム諸国は男女の平均寿命がほぼ同じになった。対して殆どの国では女のほうが平均寿命が長い。それはそれだけ男のほうが苦労しているからである。フェミニズムの弊害である。

 ・世界はフェミニズムVSイスラームへ

 この内田貴洋は現代の世界情勢がフェミニズムVSアンチフェミニズムの動きになってきていると読む。日本でも起こっていることだが、フェミニスト達はマスメディアを占領し、ひたすら男に自分達女が特権階級で男は奴隷階級なのだとプロパガンダを飛ばしている。だが中東に深く根付いた真の男女平等であるイスラームからは、「何言ってんだこいつら頭大丈夫か?」としか思われない。そしてイスラームはフェミニスト達の言い分をすべて論破してしまう結果を持っている。これはフェミニストにとっては脅威である。だからフェミニスト達はイスラームを敵視して潰そうとやっきになっている。

 だが日本で女性バブルが崩壊したのと同様、世界中の男達もそんなに馬鹿ではない。徐々にフェミニズム社会の過ちに気づいている。気づかないで突っ走ってしまったのはスウェーデンとフランスくらいである。世界中の賢い男諸君、貴殿らは自国の糞フェミ女など相手にしなくて良い。今すぐムスリムに改宗して共により良い世界を作ろうではないか。現時点ではそれがフェミニズムの暴走を防ぐ最も有効な手段である。

 あるアメリカ兵がイラクで自爆テロに会い、大怪我をした。自爆テロの犯人は女で、夫をアメリカ兵に殺された復讐であった。アメリカ兵が足を失い戦闘不能になったので帰国すると、妻は浮気していた。「妻を放っておく夫に原因がある」と妻に言われ、不貞は夫が原因であるとされた。更に障害者になってしまったアメリカ兵を疎ましく思った妻は夫に離婚を申し立てた。理不尽な理由であったが認められ、アメリカ兵は妻に慰謝料を支払い離婚した。この時、アメリカ兵は一体何を思うだろうか。自分は何のために戦ったのかと疑問に思うであろう。

 

 今世界はフェミニズムの脅威に晒されている。フェミニズム思想とは、女は女であるというだけで男より価値があり、敬われるべきだという堕落の思想である。何故このような事態が起こりえたのかというと、それはセックスにおける男女の需要供給に差があるからであり、またセックスは人間の本能に直接結びついていて人生と切り離せないからである。そして殆どすべての人間は男女問わず性欲の奴隷となるからである。

 ここにセックスのコストを計算したデータがある。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/26941044.html

 これによると、女は15-30歳までがセックス資源と為り得るのに対し、男は15-60歳までがセックス資源になり、女が圧倒的供給過多で、男は慢性的なセックス資源不足に悩まされている、という事である。
これを更に緻密に計算していくと、一人の女性を巡って平均13.3人の男性が争っている事になるという。こういう状況になると、中身がどうであれとりあえずセックスしたいと考える男が、女の中身を見ずに無条件でチヤホヤしはじめる。そして女は中身を磨く事をやめる。女は性的に上の立場に立っただけなのに人間的にも上であると勘違いを始め、フェミニズム思想に走っていくことになるのだ。日本のバブル期などは典型的である。男達はアッシーだのメッシーだのに進んで甘んじ、女を甘えさせ、堕落させた。

 しかし不思議なのは何故このようなフェミニズム思想が現代において噴出してきたのだろうか、という事である。過去にもこのような現象はなかったのであろうか。実は例外である女権社会を除いて、現代までフェミニズム思想は発生していない。ちなみに女権社会の発生にはいくつか条件があり、その内最も重要な要素は安定した気候と豊富な食物、戦争の危険のない地勢的に奇跡のような場所、に限られる。尤もこれらの女権社会もグローバリゼーションが行き届いた現代社会ではその安全性は保障されず、生産効率の悪い女権社会は変革を迫られている。

 話が横道に反れた。ではフェミニズムはどうして起こったかを具体的に解説しよう。
 まず第一に医療の進歩が挙げられる。古代の医療技術では男児は4人に3人は3歳以内に死亡していた。テストステロンという男性ホルモンが免疫力を弱めてしまうため、女児に比べると男児は死亡率が圧倒的に高い。もうこの時点で男女比は1:3に近くなっていたのである。そして戦争で男は大量に死ぬ。なので男女比は更に凄まじいことになっていた。女児は労働力として使い勝手が悪く、レイプされて妊娠してしまったりと厄介だったので生まれた途端に生き埋めにしていたりしたようである。古代~中世そして近世までこの流れは続く。女が大量に余っていたので、セックスの需要と供給バランスは均等に保たれ、フェミニズム思想なんて出る幕もなかった。

 近世に入る。医療がだいぶ進歩してきて、男女比は以前ほど開きがなくなってきた。しかし度重なる戦争のため、矢張り多少女余りになる。とは言え今ほど家電製品が発達もしていなかったので、女には女の職が多数存在し(洗濯屋など)、実は現代の女より自立していたのである。意外なことだが、この時代は男女がそれぞれの役割を全うし、歴史上最も男女平等な社会だったのである。日本で言うと明治時代である。女の側は自立して食べていくことが出来たので対して夫に対して特別貞淑なわけでもなく、夫が気に入らなかったら愛人に乗り換えなどして過ごしていたようである。20世紀も中盤に入ると家電製品が進歩し始め、女の職がなくなり始めると、女は男の経済的庇護なしには生きていけなくなった。ここに完全男尊女卑主義が成立し始める。当然女は面白くない。

 そしてインフラの発達により女は女の仕事を奪われた。女に頼らなくてもよくなった男達は男尊女卑思想を加速させる。だがこれにストップをかける事件が発生する。世界大戦である。二度の世界大戦は国家同士の凄まじい消耗戦になった。国家は非戦闘員まで動因して戦争のための生産にあたらせた。この時、今まで職がなかった女達にも軍需工場で仕事を与えられ、ある程度稼ぎが出来るようになった。国によっては女を兵士として使った。女はここに活路を見出したのである。自分達も男と同じ仕事をして男化すれば権力を取り戻せると考えた。ここから女の逆襲が始まる。それはまず参政権運動から始まった。しかしこれはまだ納得できる範囲の正しい行動であって、今のフェミニズムほど馬鹿げた要求でもなく、あくまで同権を求めるだけであった。

 さて第二次世界大戦を乗り越えて、平和な時代が到来した。戦争からの帰還兵達があちこちで家庭を作り、ベビーブームを引き起こした。この時生まれた団塊の世代と呼ばれるこの第二次世界大戦参加国に共通して存在する世代は、教育者の圧倒的不足により、教育面で他の世代に比べて充足を得ることが出来なかった。最大の失敗は「正しい母親のあり方、正しい父親のあり方」を教育されなかったことである。
 この団塊の世代は自分達がそうであるように、自分達の子供に正しい親のあり方を示すことが出来なかった。こうして家族というものの大切さを忘れ、個人主義に走り出した団塊の世代達、そしてその子供達によって過剰なフェミニズムがスタートする。
 
 通常正しい父親というものは、自分の娘の世代に手を出したりすることはない。正しい母親は、娘に正しい貞操教育をする。だが、団塊の世代の男と団塊ジュニア世代の女はお互いに正しい見の振り方という教育を受けていない。団塊の世代の男はいかにしてマスコミを通じて娘世代を馬鹿にさせて股を開かせるか、そして団塊ジュニア世代の女はいかにして自分を高く売りつけて経済的、精神的に依存するかばかり考えるようになった。団塊オヤジは娘世代女に中身など求めなかった。だからいかにして外見を磨くかを競い合わせるように情報操作し、愛人向けの女を大量生産しようとした。娘世代の女側も自分達にとってそっちのほうが楽なので、それに乗っかった。つまりまんま先のセックス格差で述べた通りの展開を見せたのである。

 一方で男化していく女達の要求はとどまるところを知らない。男女雇用機会均等法という爆弾が落とされ、人類を堕落させるフェミニズムという思想が加速していく。現実問題、男と女を比べるとほとんどの場合男向けの仕事の能力で女は劣ってしまう。能力主義、機会の均等ならば文句はないのだが、フェミニズム団体が求めたのは結果の平等であった。ここに最大の過ちがある。「女だから劣っててもしょうがないじゃん。でも平等に扱わないと差別だからね。」という不当な要求を馬鹿な先進国の政治家達が、得票欲しさに認めてしまったのである。ある意味民主主義の構造的欠陥とフェミニズムはセットであるとも言えよう。これが更なる悲劇を生み出した。事実上男化女は都合の良い部分だけ性差を持ち出して国家の保護を要求し、都合の悪い部分は旧来の男尊女卑思想に甘えるというダブルスタンダードを使い出したのである。

 社会は著しく非効率的となり、旧来女の役割であった家庭を保つという仕事を誰もしなくなった。家庭は崩壊し、人々は未来に希望が持てない社会になってしまった。フェミニズムを推奨した国家は軒並み離婚率やシングルマザー率が半端なく、犯罪率は右肩あがりで財政状況はガタガタである。まさに誰得状態。当の男化女達も一生自立して働いていこうなんて考えているのは全女人口の1割もいない。(これは欧州のデータである)つまりフェミニズムを推し進めてきた連中がフェミニズム社会など絵空事だと自覚しているのである。これでは全員が死に向かって行進しているようなものである。

 しかし、これらのフェミニズムの流れとは無関係な国々があった。民主主義の欠陥とは無縁であった共産主義国家、未だにドンパチ戦争を続けている国家、そして、イスラームである。

戦争

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 戦争の定義と搾取システムについて以前書いた事があった。今回はそれとは別の見地から戦争という社会現象を見てみることにする。

 およそすべての戦争において、勝者と敗者が存在する。勝者は敗者から物資を奪い取る。原始的な戦争においてはそれは略奪という形で現れる。敗者はすべてを奪われ、自らの所属団体は消去、あるいは離散させられる。しかし戦争が大規模になるにつれて、戦闘の勝者と敗者がそのまま実際の勝者と敗者にはならないという不思議な現象が生まれてきた。この流れは大量殺戮兵器の登場と共に加速し、第一次世界大戦で確定的となった。

 大量殺戮兵器の登場により、生身の人間より武器のほうが優位に立つと、人間の価値は下落した。武器の価値は人を大きく上回り、大量の人間を殺すための武器を少数の人間で製造するという妙な産業が生まれた。結果として戦争と経済は切っても切れない関係となり、中世の戦争のように戦闘の勝者がそのまま経済的勝者とはなり得ない状況を作り出した。戦争が商売に変わったのである。

 インターネットの普及により、誰もが情報発信、取得を出来るようになった昨今ではその傾向が更に加速している。戦闘の勝者が敗者から略奪しつくして経済的勝者となる事はほぼ不可能になった。情報化社会によって敗者が世界中にメッセージを送る事が可能になり、勝者は国際的非難/制裁を受けることになる。よほど小規模な戦闘で、糞田舎の戦闘でもない限り戦闘の隠蔽工作は無理である。尤も軍事衛星がある限りそれも難しい。

 さて、以上の条件を考慮して、第二次世界大戦以降の世界各国の様々な戦争、紛争を見た時、意外な事実が浮かび上がる。「で、この戦争で誰が得したの?」という視点を持つとわかりやすい。

・第二次世界大戦
・朝鮮戦争
・中東戦争
・中印紛争
・ベトナム戦争
・アフガン
・湾岸戦争
・イラク戦争
・ユーゴ紛争

 書くとキリがないのでこのへんにしておく。結論から言うと圧倒的勝者はロシア軍である。思いっきり負け越してるのはアメリカ政府である。カラシニコフは世界中で最も売れた兵器である。50年以上のベストセラー。また、航空兵器の売り上げも凄まじい。しかもアフガンを除いて、それらの武器の使用者はロシア軍ではない。特に大規模な戦闘は中国人が肩代わりしている。圧倒的一人勝ちである。
 反対にアメリカは愚かである。自分で武器を作って自分達の命を賭けて使っている。しかも直接自分達の利益には繋がらない。全く馬鹿馬鹿しい。星条旗に敬礼しているアメリカ軍人はこの事実に気づいているのだろうか。アメリカ軍人達は一体誰のために戦ったのであろうか。

 21世紀に入り、911事件が全世界に衝撃を与えた。戦術的勝利を収めたところでそれが戦略的勝利には繋がらないことが証明されてしまったのだ。アメリカ、そして世界が揺れ動いた。あの戦争は一体何のために行われて、一体誰が得をしたのだろうかと考えるようになってしまった。アメリカがテロ、駄目、絶対。などと訴えたところでもう遅かった。聡明な人間はとっくに気づいている。騙されているのはアホなアメリカ貧困層だけである。

 反対にアメリカは今、イスラームの文化的侵略に悩まされている。アメリカ軍内部でムスリム将校が銃の乱射事件を行った事は氷山の一角に過ぎない。ネイション・オブ・イスラムから続くイスラームの文化的侵略はアメリカ政府にとって脅威である。文化的侵略を止めるには、その文化の粛清しかない。しかし最初に書いたように、情報化社会となってしまった今、文化の粛清など夢物語である。毛沢東、スターリンですら失敗しているのに民主主義のアメリカにそんな事が出来るわけがない。

 さてこれらの事例から読み取った教訓として内田貴洋は以下の戦略論を展開する。

・武力衝突で得をするのは第三者である。よって直接的武力衝突は防衛時以外選択しない。
・攻撃として最も有効な手段は文化的侵略である。メディアを支配したモノが勝つ。制空権制海権より制情報権を最優先するべきである。
・相手が小規模ならば武力で粛清をする。ただし2日以内に粛清できる目論見が立たない場合、それは諦めるべきである。
・相手が文化的侵略をしてきた場合、徹底した啓蒙によってそれを排除する。

 そういえば中華という文明はいつだって文化的侵略の大事さをわきまえていた。どんな民族に蹂躙されようと、自分達の文明の前には抗えないだろうと悟っていたのである。事実、中華を席捲した民族達はどれもこれも中華文明に取り込まれ、華人となった。清の三代目皇帝などはその最たる見本で、彼は満語を喋れなかったのである。しかし中華文明にたてついた人物は歴史上二人居る。一人はクビライ、もう一人は毛沢東である。結果は皆さんご存知の通りである・・・

 イスラム原理主義によると、政教分離こそがすべての過ちの元凶であるという。西欧の唯物主義的なモノの考え方の根本は宗教的理念が現実の生活と乖離していると大衆が認知してしまっているからだというのだ。

 キリスト教社会において、教会の説法は素晴らしい理念ではあるがそれはとても現実的なモノではない。教会は禁欲や慈愛を説いたがそれらは理想主義すぎてとても実現不可能な理念であり、教会は自己の権威を守るために「必要悪」の存在を認め、宗教的倫理と現実の生活の区別をつければ良いという妥協に走った。結果として西欧人は道徳が実生活に通じるものではなく、倫理はあくまで倫理とし、実際の生活と切り離して物事を考えるようになった。そして今日の唯物主義と宗教への失望へと至る。これがイスラム原理主義者から見た西欧の過ちである。

 だが私はこの説に異論を唱えたい。イスラームとローマカトリック、東方正教会はそれぞれ発達の歴史が違うので単純に現実離れした理念が問題であるとは言えないというのが内田貴洋の反論である。

 ローマカトリックはローマ帝国で発展したものであるが、もともとローマ帝国はミトラ教が国教で、キリスト教は迫害されていた存在であった。キリスト教はローマ帝国という政治体制に外部から進入し、徐々に権力を高めていったのである。ウンマとジハードで発展したイスラム帝国とは立場が全く異なる。それ以前の大帝国を見ても、ペルシアのゾロアスター教、中国の道教などに代表される通り、政治的権力があった場所へ宗教が入り込んでいく、という形が矢張り一般的なのである。この形では宗教権威は妥協の形を取らざるを得ない。

 たしかにイスラム原理主義者達の主張、政教一致こそが人類の明るい未来を作る、という理論は正しい。理念が現実的で実行可能であることも十分理解できる。だがしかし、既存権力との闘争という点において、原理主義は原理主義実現の現実性からは遠くはなれている。原理主義を押し通すには、ほとんどの場合競合権力を葬り去るしか手段はない。しかしそれでは原理主義に失望する人達が出てきてしまう。いくら頭で素晴らしい宗教理念だとわかっていても、家族を殺されたグループに入信はしないだろう。

 イスラム原理主義は理念こそ現実的ではあるが、肝心の布教手段が現実的ではないのである。私はムハンマドを一人の天才であると考えている。ムハンマドがイスラームを起こした時代、武力による原理主義政府の拡張は最も合理的な手段であったろう。だが今ムハンマドが生きていたら、あの合理的な思考の持ち主の預言者が生きていたら、現代の情報化社会で武力によるジハードを敢行したであろうか。私はそうは思わない。

では宗教的理念と現実が乖離したまま放置するのが良いかというと、そうではない。原理主義者の言い分は全く以って正しい。ではどうすれば良いのか。私はここに預言者の必要性が存在すると考える。現実的な布教手段もろもろを考えて、合理的に教義を調整することこそが預言者の役目であり、ノア アブラハム モーセ イエス ムハンマドとアブラハムの宗教が次々と新しい預言者を生み出していったのは理念と実態の乖離をそのつど調整し、改革する人間の必要性があったことの証明である。これぞまさにアラーの思し召しであろう。天才ムハンマドも状況に合わせて教義を変化させていったものだ。キリスト教側ではその後ルターやカルヴァンと言った者達が改革を行ったが、ムスリムでは未だに新たな預言者は出ていない。

 今、人類は壮大な過渡期にある。そろそろ新しい預言者が必要になる頃であろう。尤もその役割がこの内田貴洋であってもおかしくはないのであるが。

 内田貴洋王国/宗教はベイシック・インカムを標準装備する。

 内田貴洋王国/宗教の目指す理念は「万人が幸福になる機会を平等に有する社会」である。これだけ聞くとレーニン主義のようであるが、内田貴洋は所得格差を認めている。金持ちには金持ちの苦労があり、貧乏人には貧乏人の苦労があるのと同様に、幸福値もハピネスの法則によって金持ちと貧乏人では異なるからだ。

 かといって経済的にゼロの人間が幸福になる機会が多いかというと、それは嘘である。経済的にゼロの状態は現代社会ではマイナスを意味する。毎日生きるために精一杯では幸福の追求など考える時間もない。最低限の経済力がないと人間は幸福になる事が出来ない。最低限の経済力がない人間は金銭の奴隷となる。それは最早、身分の差(カースト)となってしまう。内田貴洋はこの実質的な階級差を認めない。この経済的奴隷身分の存在は徹底的に改善する必要がある。

 内田貴洋の王国/宗教の共同体はイスラームに習って「ウンマ」と呼ぶことにする。このウンマ(共同体)には当然税金が発生する。内田貴洋はウンマ(共同体)から集めた税金の一部を、無償でウンマ(共同体)全員に再分配する。つまりベイシック・インカムである。これはムハンマドが提唱した富の再分配と何ら変わることはない。この思想自体はイギリスで生まれたものだが、根底にはイスラームのワクフ(寄進)と同じ発想が見られる。但しベイシック・インカムはワクフとは違い、半強制的である。金持ちほど多くのワクフを行うことになるが、これは上で述べた金持ちには金持ちの苦労がある、という部分に該当するので、「万人が幸福になる機会を平等に有する社会」という理念と矛盾する事はない。

 内田貴洋の王国/宗教で特徴的なのは、このベイシック・インカムを享受できる権利がすべての人間に存在するわけではない、という事だ。ベイシック・インカム受給者は次の条件を満たしていなければならない。
・両親が共に成人権を持つ親の子である事
・嫡出子である事。
・片親が外国人の場合、その外国人が成人権試験に受からない限り、無効。

以上。

 

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