今更こんな話をするのも馬鹿くさいのだが、おそらくほとんどの日本人は宗教の必要性を全く判っていないのでこの内田貴洋がサービスとして語ってやることにする。
私が中国にいた時、少数民族の人々とお話をする機会があった。彼らが漢人の事をどう思っているか聞いたところ、面白い答えが返ってきた。
「あいつらは信用できない!何故なら神を信じてないからだ!」
驚いたことに違う宗教である他の民族や、カトリックやプロテスタントの白人もこれに同意した。つまり同じ宗教を信仰しているか否かが問題ではなく、宗教そのものを持っているかどうかが大事だったのである。
実はこの問題は人間のあり方に深く関わっている。人間はその行動基準の中に絶対的価値観を求める。つまり善悪である。何故悪いことをしてはいけないのか。これは理論だけでは説明のできない問題である。何故泥棒をしてはいけないのか、何故人殺しをしてはいけないのか、これらを理論で説明しようとしても不可能である。何故なら善悪とは絶対的価値観なしには存在しえないものだからである。宗教は人間にこの絶対的価値観を植え付けるものである。「なぜなら神がダメと言っているからダメ」この一言ですべて片付いてしまうのである。宗教は人間の倫理を統率し、規範のある社会を作るのに役立つのである。
では最初に述べた漢人の場合はどうであろうか。漢語で人生とは「作人」と書く。意味は人を演る。人を魅せる。といったニュアンスになる。つまりどれだけ裏で悪いことをしようがバレなければオールオッケー!という考え方である。尤もすべての漢人がこういうわけではないが、漢人にはこういう人が多いのは事実である。世界中でチャイニーズマフィアが恐れられているのはこういった彼らのメンタル面の要素がでかい。神を信じない彼らは神を信じる人々からは想像もできないような残虐で大胆な犯罪を犯す。そして彼らは彼ら同士でも容赦なく裏切り行為を行う。神を信じてないので集団への帰属意識がほとんどないのだ。
翻って現代日本を見てみよう。日本は国家神道を天皇の人間宣言でブチ壊されてから、宗教を失った。「悪いことをしたらバチがあたる」という本来日本人がおぼろげに持っていた信仰の意識は我々の祖父母世代から徐々に薄れていき、今の若い世代は殆ど全くそんな意識を持ち合わせていない。結果として若者は泥棒、買春に走り、家族という社会を構成する最小基盤が滅茶苦茶になってしまっている。きちんとした家族の元で育たなかった人間は精神的に子供のまま大人になる。このアダルトチルドレンが社会の半分以上を占めるようになると、その社会はゲトーとなる。ゲトーは団結力がなく、ただその社会内で限りある資源を奪い合い、殺しあいを繰り返す。ゲトーは社会として成長することがなく、いずれは滅びる。
ひとりひとりがきちんとした倫理観を持って規範のある社会を作らなければ、人類に平和など訪れない。そして倫理観のためには絶対的価値観が必要であり、絶対的価値観のためには宗教が必要なのである。どこの国に行っても無神論者は共産主義者というレッテルを貼られるのはこのせいだ。宗教を持たない人間は倫理観がない存在、すなわち人間ではないとみなされるのが世界の常識なのである。ここは日本だ?いや、日本も世界である。