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 すべてを見通す内田貴洋は完全無欠で合理的な宗教作りに乗り出す。

 内田貴洋が考える理想の宗教とは、万人に幸福を得る機会が均等に与えられる世界の秩序を作り出すことが出来る宗教である。内田貴洋は幸福値というものに絶対的価値を置く。すなわち物質的裕福さがそのまま精神的裕福さにはなりえないという考えだ。これはどの宗教でも見られる事である。多くの宗教はこの世とあの世を分離し、精神と肉体の分離を説くことによって物質的なものと精神的なものを分けようとする。だがしかし内田貴洋の宗教は合理主義を目指す。よって物質的裕福さもある程度幸福値に影響を与えるものと考える。反対に精神性、これを極める事はそれ即ち幸福値を上げることになるが、行き過ぎた精神的裕福さの追求は時として他者からの暴力の前に屈してしまうとする。内田貴洋の宗教は戦う宗教だ。内田貴洋の教えは人類の未来を作る。人々は内田貴洋の教えを後世に伝えるために戦わねばならない。己の脳に刻まれた内田貴洋の宗教という財産を、暴力という手段によって奪われてはならない。暴力の前に屈することはこの素晴らしき教えに対する冒涜だ。内田貴洋は宗教的弾圧には武器を持って立ち上がれと教える。内田貴洋は暴力を否定しない。何故なら暴力こそが、人類の繁栄を永続させる最終保障であるからだ。

 内田貴洋が何を以って幸福値とするか、これを現代科学で言うならば、脳内麻薬分泌量である。内田貴洋の宗教は科学をも取り込む。ただし、この脳内麻薬は多ければ多いほど良いというわけではない。自分でコントロールできるかどうかが大事なのである。アドレナリンで抑えが利かなくなって人を殺す、エンドルフィンの出しすぎで他に何も出来なくなる。これらは幸福とは言わない。大脳新皮質の理性によってこれらをコントロールできて初めて幸福値という基準を設けて良い事となる。内田貴洋は外因的要素でこれらの脳内麻薬を抑制したり活性化させる事を推奨する。例えそれが直接麻薬物質を自己に投与よるものであってもだ。ただし、ナチュラルでコントロールできる状態がベストであり、薬物に頼るのは幸福値を下げる事になる。薬物は物質であり、物質に依存するのはもしその物質が無くなったらどうしよう、という不安すなわちストレスを頭の片隅に抱え込むことになるからだ。ストレスがあると脳内麻薬の総出量も減るし、コントロールも容易ではなくなる。

 内田貴洋が現存する宗教で最も合理的だと思うのはイスラム教である。しかしイスラム教にはいくつか欠点がある。預言者ムハンマドはクルアーンを絶対唯一不可変の神の言葉とした。クルアーンは聖書をベースに作られている。まずここに問題がある。ムハンマドは確かに天才だが、結局ユダヤ教をベースにしているため、無理がある箇所がいくつかある。内田貴洋は進化論や遺伝子論によって自己の理念を理論武装しようと考えているため、進化論を否定するような創造主の存在を認めることはできない。また世界は移り変わるものであり、暴力によって正当なものが捻じ曲がったものに滅ぼされる事もある。一時の栄華でも見逃してはならない。この世はやるかやられるかだ。

 次回に続く。

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