人間は物事を判断する時、最終的には3つの基準の中で自分が一番重視しているものを拠り所とする。
その3つとは
1 気持ち良いか良くないか
2 正しいか正しくないか
3 自分にとって損か得か
この三者はそれぞれが違う方向に向かって進んでおり、重なる部分もあるが、三者が複合的に判断される事は決してない。人間は最後、必ずどれか一つを拠り所として判断を行う。
1 気持ち良いか良くないか
これは限りなく原始的で本能に近い判断基準である。自然が豊かで、人間が難なく暮らしていける環境ではこの判断基準を重視する人が多い文化が形成される傾向がある。古来日本もこのタイプであった。この判断基準を最終的に心の拠り所にする人間は良く言えば無垢で素朴、悪く言えば自堕落で動物的と言えよう。
2 正しいか正しくないか
主に一神教文化圏で見られる判断基準である。一神教では唯一神のみが正悪を決定するため、正しい選択肢というものが一つしか存在しない。そしてその神の決めた善悪に沿って行動する人間というのは、神に近づきたがっているとも言える。この判断基準を最終的に心の拠り所とする人間は潔癖症で完璧主義者が多い。
3 自分にとって損か得か
重商主義帝国で出来た判断基準である。中華文明圏では古代より国家=大商社であったので、この判断基準を重視する人が多い文化が作り上げられた。近世に入り、西欧諸国でも重商主義国家が現れ、このような価値観を持つ人々が増えた。この判断基準を最終的に心の拠り所とする人間は、手段と目的が逆転しており、機械のように生きることを美徳とする人が多い。
まずは自分がどのタイプなのか見極めることが大事である。そして、自分の周りの人間がどのタイプなのかも考えてみよう。気の合う人間というのは絶対に同じタイプである。反対に違うタイプの人間と気が合うことは決してない。