とは今日、とある人に物事を丁寧に教えていたら言われた言葉。
僕が逆に聞きたい。
「人に善行を施すのにいちいち理由がいるんですか?」
おそらく彼は、自分に利益があると判断しないと他人に善行を施さないのだろう。可哀相な人だ。
人間は同化本能を持っている。僕はその本能に従って行動しているだけ。そしてその社会的本質的欲求を満たしているだけだ。
彼はおそらく僕の十分の一くらいしか人生を楽しめていないだろうなあ。
閉じてる人間の世界は閉じる。開いている人間の世界は開く。
とは今日、とある人に物事を丁寧に教えていたら言われた言葉。
僕が逆に聞きたい。
「人に善行を施すのにいちいち理由がいるんですか?」
おそらく彼は、自分に利益があると判断しないと他人に善行を施さないのだろう。可哀相な人だ。
人間は同化本能を持っている。僕はその本能に従って行動しているだけ。そしてその社会的本質的欲求を満たしているだけだ。
彼はおそらく僕の十分の一くらいしか人生を楽しめていないだろうなあ。
閉じてる人間の世界は閉じる。開いている人間の世界は開く。
何もしない、という行為は存在しない。
「何もしない」をしている、ということである。
これが相対的な関係において為される場合、それはマイナスの意味を持つ。
つまり「我関せず」などという単語は存在しないのだ。
これの実質的な意味は、「我害為す。」である。
自己の感情を愛せた時に他ならない。
さて、これだけじゃなんなので補足説明
例えば綺麗な海を見たとき、
ああ、綺麗だなあ、と思う
↓
ああ、綺麗だなあと思っている自分の感情自体をとても素敵だと思う
この瞬間に幸せを感じているということ。要するに実は二段構造になっている。我々は普段それには気付いていない。
だから一見負に見えること例えば
ボッコボコにぶん殴られて痛みを感じる
↓
痛みを感じている自分の感情を、生きてるって実感して素晴らしいと思う
こういうふうに幸せを感じることもある。
どんな感情ですらそれを愛していることがわかればそれは幸せになる。
「愛すべき感情と愛せない感情が存在する」
のではなく
「その感情を愛するか愛さないかは自分次第」だということだ。