「人を評価する時に、いい人、悪い人っていう単語を使うヤツって、自分軸でしか人を評価していないんだよな~。しかもそういうヤツってたいてい信用できないんだ。」
これを詳しく解説すると、まず、「良い、悪い」という単語の正体である。客観的に良い悪いを判断することは出来ない。良い悪いは理論では説明できない事項なのである。
何を以ってして良い、悪いなのか、それは各々によって異なるのである。例えばAさんはムスリムなので酒=悪、Bさんは神道なので酒=善。Aさんはムスリムなので4人まで妻を持つことは悪ではなく、Cさんは厳格なカトリックなので4又=大罪。
宗教を例に出したのは、宗教は理屈抜きの絶対的価値観を個々に植えつける力が強いからである。もう少し砕いて身近な絶対的価値観の例でいこう。例えば嘘。甲さんは結果として他者が幸せになるなら嘘も方便=善と考え、乙さんは嘘をつくこと自体が他者への侮蔑=悪と考える。このように、個々によって良い悪いの定義は全く異なるのである。
さらにこの甲乙の例で先ほどのいい人悪い人を語るとしよう。甲さんは嘘つきを否定はしないが乙さんは嘘つき=絶対悪である。乙さんはありのままを伝える人を否定はしないが甲さんに言わせると他者の気持ちを汲み取れないでベラベラ事実を喋る人=悪なのである。そして、お互いにとって「いい人」とは
甲さん=うまくあわせてくれる人
乙さん=常に素で触れてくれる人
なのである。お互いにとっての「いい人」は全く180度違うわけだ。そして最初の話題に戻るが、これら「いい人」というのは「甲さんにとっていい人」「乙さんにとっていい人」なのである。これが他者に当てはまるはずがない。よって、他人を評価する時に「あの人いい人だよな~」などと言う人は、自分軸でしか相手を評価していないことになるのである。すなわち、「自分にとっていい人」である。
自分にとっていい人、が他者に対してもいい人であるとは限らない。だからこそ、他人を評価する時に「いい人」を使う人間は、まさに自分のことしか考えていない人間、でもある。いや、自分のことしか見えていないのかもしれないが。また、多くの場合は「自分に利益をもたらしてくれる人」という意味で「いい人」を定義づけていることが多い。私の経験では95%の人はこのような意味で「いい人」を使っている。このような自分本位の人間を信用する人はあまりいないであろう。
だから私は、他人を評価する際に「いい人」を絶対に使わないようにしている。いくら私に利益を還元してくれている人でも絶対に使わない。それをほめ言葉として期待している人に対しても絶対に使わない。あくまで客観的な視点で評価する。このような私の性格が、おそらくかわいげがないと言われる所以なのであろう。人によってはあんだけ世話してやったのに!なんて言っているのであろうが、私はこの考えを曲げる気はあまりない。